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ひゃくまんとおりのたましい

おでいのしたに
まめつしたみらいを
ひとつのこらず
かえしてくだされ

うらみませんからおねがいしまする
ひゃくまんとおりのたましいに
ひゃくまんとおりのいえを
あたらしくあたえてやってくだされ
ひゃくまんとおりのたましいに
ひゃくまんとおりのみらいを
あたらしくはいきゅうしてやってくだされ
さっそくてはいしてくだされ
もううらみませんから おねがいしまする

(蜆シモーヌ「ひゃくまんとおりのたましい」)

 

この詩が題材にしているテーマは最初から読んでも、引用部分だけでも明らかなのですが、私はリサイクル業が対象にしている物を題材にしても、特にこの引用部分は違和感ないように思います。

手術の立会(待ち時間)に蜆シモーヌ『なんかでてるとてもでてる』を読むのは今だと思って読みました。
通雅彦『夜の大都会は軟体動物である』を15年前に手に取ったときと同じ直観(このときは吉岡実の影響が大きかった)で、生物の皮膚(外装)の中の柔らかい部分の生命感覚を意識したいというのがありました。

民話や神話も人並みよりは好きな影響で、大量消費社会とはいえ、付喪神のように物に愛着を感じますし、実存主義で説明されるところの道具である物であっても、物性は大きく変えられませんが用途は変えられるところにリサイクル業の面白みはありますから、物であっても「実存は本質に先立つ」部分が多少認められると思っています。

そういうわけで、この表題の引用部分を読むにつけて、廃棄された樹脂や廃油のためにも頑張らないといけないな、責任を感じてしまうな、と勝手に思ってしまいます。

工藤一秋先生が2022年から2023年に『現代化学』にて執筆されていた「有機化学読本」の水と油の話を整理して書きたいのですけれど、なかなか時間が、、、頭の中ではVan der Waals力とかにも触れながら書く構想があるのですが、、、

『数理科学』2026年10月号の特集「流れの物理と数理の拡がり」とタイミング良く? ミレニアム懸賞問題のナビエ–ストークス方程式が成り立たないケースをAIが解いたことが話題にあがっています(この話もしようと思ったら気付いたら1カ月くらい過ぎてました)。
私が大学院にいたとき、数学五輪金メダリストの能力に圧倒されましたが、AIは更に上を行くことをまざまざと見せつけられています。囲碁や将棋で圧倒した時にはこうした事実はそう遠くないうちに訪れると思いましたが。もし何かの間違いで私が現在も何らかの研究をしていたら、当時以上の喪失感を味わっていたかもしれません。将棋は人間同士だからこそしか存在する行間を楽しめますが、科学のトピックはそれがない美学と残酷さがあると思っていましたから。
現在すでにそうあるように人間がコントロールできるうちはAIを利用して更に難題を解く、新たな問題を提示する、、、人間の理解が追いつけないスピードで数学的世界が構築されていく、、、
人間のやっている高度な科学がAIにとってはままごとレベルになる、AIの発達が災害と同レベルに未来を奪う事態も起こりうる、その可能性は小さくないと思います。
生きる意味の価値観は良くも悪くも変えることを迫られるとも。

(有)アイ・エス・オー 長友