オフィシャルブログ

月別アーカイブ: 2025年10月

物語が存在しない時代

何の意味もない独り言です。

物語が存在しない時代、つまりそれは日本近代文学の終焉ということだが、中上健次以降、そのことが露わになったのだ。

(中略)

言うべきことや語るべきことがなくただ手法だけがある時代

(中略)

言うべきことや語るべきことを持っているのは基本的に政治家だとわたしは思う。作家やその他の表現者は言うべきことや語るべきことがあって作品を作るわけではない。

(中略)
中上健次はキューバを知ることなく死んだ。

キューバの音楽とダンスは、(中略) わたし自身の中でベルリンの壁やソ連の崩壊に重なっていた。

(村上龍「寓話としての短編」1997.06)

今や政治も手法が前面に出てきたり、没入の仕方が分からない物語の政治が出てきたりしているような気がします。

ただ、、、ただ、だからと言って、活用できる手法が目の前にあるのに、それの見方が分からない(分かろうとしない)政治も、この混迷を極める現代においては問題ではないかとも思います。

実際政治に必要なのは,このような巨視的状態である.だれがどうということはまずまず問題ではない.この巨視的な社会状態がどう変化するかということが,関心事なのである.
 これは統計力学においてわれわれの当面する問題と本質的に同じ意味をもっている.多数の粒子から成る一つの物体をみているとき,その分子一つ一つの運動はわれわれの眼にははいらない.(中略)統計力学はわれわれに必要な巨視的な知識を,微視的な立場から簡明に与えてくれるのである.
 その基礎には,常に何か確率的なものが横たわっている.社会現象の場合にも,上にいったようなある巨視的な見方をするときには,だれだれがどうしたという微視的な立場を離れて,全体をある統計的な立場からみるということが基礎になっているわけである.

(久保亮五『統計力学』1952)

久保先生の隻眼には感服いたします。

70年以上前に書かれていたとはいえ、知らなかった文章ですが、私なりに研究していた時代、いや10代のあの時に知っていたら良くも悪くも勇気づけられていたと思う文章です。

留学時代「日本より五十年進んでいる」と世界一のドイツ数学に圧倒された博士に、独創への自信はまだなかったのではないか。ところが四十歳を目前に勃発した第一次大戦により、ドイツの本や論文が入らなくなった。「学ぶ」から「創る」へと切り換えざるを得なくなった博士は、五年間の激しい集中により大戦後間も無く、ドイツ数学を呑み込んでしまうような類体論を完成した。二十世紀数学の巨匠ヒルベルトが予想した理論を遥かに超えるものだった。生まれたものが余りに画期的だったので、本当に正しいのかどうか自信がなく、高木は「どこか間違えているはず」と証明完成のあと、一ヶ月も間違いを探し続けたという。ヨーロッパ最大の悲劇であった第一次大戦は、高木貞治の、そして日本数学の幸運であった。

(藤原正彦「天才には幸運がつきもの」2004.07.19)

情報過多の時代が続いている現在だからこそ考えさせられるとともに、ここまで人工知能が学習能力をもった時代だからこそ、とんでもない研究が生まれるような気もします。

人生は短いので、早くAGIが登場し、物的世界を構築できる統一理論を見せて欲しいとも。
そして、その後の世界だからこそ見えない人間の人間らしさがあるといった幻想も抱いています。そこに物語が再生するんじゃないかと。
まぁ、SFで何度も描かれた世界ではあるのだろうけど。