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カテゴリー別アーカイブ: 独り言

雨の詩

夕食どきだった。彼はどこで食事をしたらいいかわからなかったので、通りの街灯の下にたたずんでいた。突然、街灯が点り、石畳の上に複雑な光を扇のように広げた。なおも彼が立っていると、稲妻が光った。通りにいる人間がみんな顔を空に向けた。そうしなかったのは、彼と彼女だけだった。川を渡る一陣の風が、腕を組んで、回転木馬のように飛びはねて遊んでいる子どもたちの笑い声をこちらに投げかける。川風に乗って、窓から身を乗り出して子どもたちに叫んでいる母親の声が聞こえてくる。雨よ、レイチェル、雨よ―雨が降ってくるよ! 花売りが、片目で空を見上げながら、雨やどりの場所を探して走っていく。グラジオスや蔦のある花を積んだ荷車が今にも壊れそうな音をたてる。ゼラニウムの鉢がひとつ荷車から落ちる。小さな女の子たちが落ちた花を拾い集めて、耳のうしろにさす。駆け出していく人間たちの足音と雨の音がまじり合い、歩道で木琴のような音をたてる。―さらに、ドアが急いで閉められる音、窓がおろされる音が聞こえてくるが、そのうち、あたりは静かになり、雨の音しか聞こえなくなる。やがて、彼女がゆっくりとした足どりで、街灯の下に近づいてきて彼の横に立つ。空は、雷で割れた鏡のように見える。雨がふたりのあいだに、粉々に砕けたガラスのカーテンのように落ちて来たからだ。

「無頭の鷹」カポーティ(川本三郎訳)

 

ポツンと空いた穴

天には星はあんまり見えんけど
そのぶん東京は地上に星が降るんだねえ・・・

「天の星は死人のためのもの」
遠くにありて美しい

「地上の星は生身の人間が汗水たらして作るもの」
綺麗なだけではないかもしれんけど
血の通うパワーと温度がある

             芦原妃名子『砂時計』

 

2020年4月1日に本ブログで引用しました。
記事のタイトルは「失われゆく宇宙」。

個人的な話にはなりますが、『砂時計』が好きで、仁摩サンドミュージアムにも足を運びました。近くの砂浜に行って、鳴り砂で遊びました。後ろ向きに歩く方がキュッキュ鳴りました。
もう15年くらい経つ昔の話です。

今日は樹脂分別したり、打合せに行ったり、行政への申請書類準備があったり、慌ただしかったのですが、剪定の時間を2時間弱作りました。
剪定は現在の形を整えるものでもあり、春以降を想いながら未来の準備をするものです。
今日は必要な時間でした。
2時間弱でも足の裏のアーチへの負担はあり、意識しないと足を引き摺ってしまいました。踵骨を真っ二つに割って丁度4ヵ月です。

最近の読書は専ら、非平衡統計力学に関するもので、そこから現象論的にアプローチしての分離膜近傍の解析(微積)を考えたり、どうやら昔やった有限要素解析も持ち込めるのかと考えたり、、、たまに急き立てられるかのように行列模型で時空のことを考えたくなったり、、、
芦原作品とは離れていたのですが、急に飛び込んできた訃報に、戸惑いながら1日過ごしています。

何の因果か、東京時代の友人が来週宮崎に仕事で寄るのですが、その友人というのが仁摩サンドミュージアムに一緒に行って思い出を共有した者で、、、

この哀しみを、失った宇宙の重みを共感してくれる友人が、来週やってくるのは、改めて実感しないといけない辛さもやってくるようで、、、

不意打ち過ぎて、なにものも埋められない穴が開いてしまったことが、ただただ忽然たる事実として在る、この触ることができない「在る」の処理に困ってしまいました。

 

 

 

……僕も
何かを残してみたいなぁ…
静かに
人の心に残すものを
あんなにすごくなくていいから

手に入れられなくていい
一瞬
ほんの少し触れるだけでいいから

決してつかめやしないあの月を
どうしてもつかんでみたくなるんだよ

         芦原妃名子『月と湖』

 

『月と湖』作中人物が中原中也「湖上」を口にした後の台詞。回想中の台詞。

「植える」という意味と「捨てる」という意味があった~piantare~

大聖堂の裏に一本の木があった
枝先までひたすら花をつけていた
風が花を啜っていく
ただひたすらのときのなか 生まれてくるものピアンターレには
「植える」という意味と「捨てる」という意味があった
「どちらもそこでひとり生きていくようにということだから」

イタリア人の先生は説明した
はじめに 植えるという形で捨てられていた と
そのときおもったが
ただひたすらのときのなか
捨てられたのかもしれない
植えられたのかもしれない

この木を過ぎて
ナッタ通りを下って行こう
いくつかの通りを行ったら
戻っているだろう
人の世に

          (伊藤悠子「この木を過ぎて」『道を小道を』より)

秋はいずこに

秋の田の かりほの庵の 苫を荒み わがころも手は 露に濡れつつ 

(天智天皇)

 

百人一首の第一首がこの和歌とは感慨深いものです。

宮崎はまだ秋のようで慌ただしく年末に向かっています。

朝、分離膜による油水分離設備の始動をし、バックヤードの樹脂を触りながら、混入チェックやその日の作業内容(特にA型就労者)を最終確認します。
そうすると露で作業服のいろんなところが濡れます。

従業員も朝は露で作業着を湿らしています。

冬の賞与ですね。この和歌を詠みながら渡しましょうか?

元は万葉集の作者不詳の歌。それが天智天皇の歌になっていることで、意味合いが深くもあり、もしくは政治的にも感じられます。

 

樹脂識別機器の原理

樹脂の識別方法として、分析機器測定があります。

有機化合物の成分同定もしくは分子構造の同定といった分野があります。 例えば、新薬を作ったときに、目的物ができているか見ないといけません。逆に、異物混入していないかも必要です。

直接見ることはできないので、分子構造や官能基を間接的にみることになります。

その方法としては、質量分析法(Mass Spectrometry ;MS) 、核磁気共鳴分光法 (Nuclear Magnetic Resonance spectroscopy ;NMR)、赤外分光法(Infrared spectroscopy ;IR)などが有機化合物のスペクトル分析の代表格でしょうか。

樹脂の識別に限れば、ある程度、赤外分光法(IR)でできます。ひとくちにIRといっても、分散型とフーリエ変換型でスペクトルを得る方法が大別されますし、測定法も5種類ほどあり測定法に合わせて試料の状態や必要なものが違ってきます。

本稿では、どうして赤外線で分かるのかといった原理をざっくり説明できたらと思っています。

照射された赤外線のうち吸収された部分、当該赤外線はどの領域の波数(Ex.1cm内の端波の数)でどれくらい吸収されたかが情報になります。
赤外線といっても780~10万nmの幅があるので、いろんな長さの波があります。そのいろんな長さのうち、どの長さ(赤外線波数領域)と反応するかをみるわけです。

 

分子はいくつかの原子が結合しているわけですが、分子内の原子の違いや結合の違いによって官能基部分毎の結合力が変わり、その結合力と赤外線波数領域が対応しています。

赤外線は人体に当たると暖かく感じます。つまり、エネルギーを与えられています。分子結合部分が振動し、エネルギー準位が遷移します。
この遷移という動きが心電図のピコンと反応するピーク(R波)みたいに現れ、心電図に相当するのが赤外吸収(IR)スペクトルになります。

だから、心電図から読み解くように、樹脂の同定もIRスペクトルから読み解く(間接的に分子構造をみる)ことになります。

 

それでは、より深くみるために、簡易モデルを設定しましょう。

原子Aと原子Bの二原子間で考えます。この原子間を結びつける力(結合力)は単振動のバネで近似することができます。一般にこれを調和振動子と呼びます。

結合力をバネ係数k、換算質量 として単振動を考えると、ポテンシャルエネルギーと運動方程式より、振動数 、従いまして、波長より

波数が得られます。

よって、波数と結合力は正の相関、波数と換算質量は負の相関があることがわかります。

 

次に、量子化して考えましょう。つまり、波ではなく粒として考えます。

運動量pとして、2原子間が基準よりxだけ伸びて単振動運動したとき、調和振動子のエネルギーの式は次の通り。

シュレーディンガー方程式は

これを漸近解をguesssしてエルミート多項式を乗じて、元式を満たす解を作り、漸化式を(以下、略)

シュレーディンガー方程式の解として、粒1つ1つの離散(整数)関数の解が得られます。飛び飛びになるエネルギー遷移が説明できます。

遷移エネルギーは

となるので、エネルギー準位遷移によって、特定の波数の赤外線が吸収されることが分かります。

※調和振動子を前提にしましたが、厳密には振動は非調和でボテンシャルエネルギーはモースポテンシャル関数で表すようです。単振動の線形モデルがそのまま援用できるわけないですからね。ただエンジニアリングモデルとして線形性は妥当ですよね、非常に簡単に相関を追っていけるので。

再掲しますが

より、赤外線を照射すると当該官能基(原子間)結合力に応じた波数の赤外線部分が吸収されることでエネルギー準位遷移がおき、IRスペクトルの当該波数上でピークが見られることが分かります。

逆もしかりで、いろんなノイズを取り除ければ、分析器からIRスペクトルを出力し、そのピークが起きている波数領域をみれば、何の官能基か推測できることになります。
ピークが複数個起きているので、それぞれの官能基を推測すれば、分子が推測でき、そこから樹脂が同定できます。

実際に分析する際は、このノイズを取り除いて当該樹脂由来部分だけのIRスペクトルを得ることが重要になります。もしくは充填剤がどんなピークをもたらすか、樹脂同定と異物同定双方を頭に入れる必要があるのではないでしょうか。
そして、黒色問題ですね。赤外線を吸収するので、いかに敏感に(反応よく)測定できるかが重要になります。ハンディタイプの簡易識別機がありますが、ネックになるのがここでしょうね。

最後に、、、ここまで御託を述べましたが、弊社には分析機器がありませんし、原理もすべて独学なので、説明に飛躍があるのは愛嬌ということでお許しください。
ATR法のできるフーリエ変換型の分析計測機器は欲しい(使いたい)んですけどね、、

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

膜とは何か? 思想篇

9月になったとはいえ、まだまだ湿度の高い暑い日が続きますね。

最近、廃棄物許可更新のための講習会(試験)がありました。
講習会で代表的廃棄物の中間処理方法が紹介されるのですが、廃油処理に分離膜はでてきません。埋立地の浸出液処理の方で簡単に紹介されます(膜の種類と透過防止対象)。
埋立地での分離膜モジュールは分かりませんが、弊社では切削加工部品の洗浄排水等のエマルション性含油廃水を対象にしているので、浸出液のような薄い液はもちろん濃い液体も分離しております。濃いと膜のファウリングが起きやすく、処理工程が円滑に進まないのですが、色々な工夫をして膜の能力が長期的に発揮できるようにしております。

 

後付けではありますが、今回は、「膜とは何か?」をテーマに書きたいと思います。

 

私は(分離)膜の事を考えない日はないのですが、そもそも膜とは何でしょうか?

 

我々生物には細胞膜があります。私が大学1年生のころに図書館で論文誌を初めて手に取って目を奪われた(記憶に残っている)のが、生体膜とイオンチャンネルに関するものでした。論文内容は忘れたのですが、生物の細胞というのは膜で覆われていて、この膜には選択的にミネラル等のイオンを通すゲートがあります。このゲートのメカニズムの研究だったと思います。
現象として在るものの微小世界の機構で制御されている、世界の成り立ちに興味を持ち、そうした研究をしたいと思うようになった出会いでした。

 

そう、この眼前に広がる世界もスケールを小さくしていけば、素粒子で成り立っています。
これがどう成り立っているか説明できる、世界の構成最小単位の仕組みが説明できれば世界全体が説明できる、統一理論の夢があるわけです。

 

議論の余地は大いにあれど、超弦理論がその筆頭にあります。粒子が点ではなく線であることで有限性が生まれるので理論破綻を免れ(半径0でなくなるので無限大量でなくなり)、M理論をもってくることで重力子を超弦理論に取り込めるようになりました。

 

この統一理論ないし超重力理論のM理論に登場するDブレインは「膜」なんです。水面のように広がった、場の理論のソリトンなんです。
ひも状の開弦は両端を固定端として膜に貼りつき、わっか状の閉弦は膜から浮いた状態(もしくは膜同士をつなぐ円筒)として説明されます。

 

語弊はあれ、この世の現象は膜状のものによって築き上げられている、と考えれば、胸は高鳴ります。

 

取り込めたからといって諸々の整合性や実証性が不完全であるようですが、、、(最近は8月10日に2018年から開始していたミュー粒子の実験統計値が統一理論の手前の標準理論から導かれる予測値に合わなかったようです。最終的な結論が出るのは2025年のようですが、理論がおかしいのか、実験がおかしいのか、難しい問題です。

 

 

話は胸の高鳴った細胞膜に戻ります。

 

そもそも生物の定義とは何でしょうか?

ある程度生物学者たちに受け入れられていると言われるのが次の3条件です。
(1)外界と膜で仕切られている、(2)代謝を行う、(3)自己複製する

 

そう生物の定義にも膜が出てきます。
M理論の膜は数学的要請に応えるもので、boundaryな性質をもっていると考えれば、膜というものに向き合うことが我々の存在にも向き合うことになると、、、

 

数学は数学語で語るべきで、哲学は哲学語で語るべきで、日常語を持ち込むと数学の世界のことを説明しきらない不誠実さが生まれるので、、、知らずとソーカル事件が生まれるわけです。かといって、M理論なんて私が素粒子物理学を専攻したとして何年かけて数学的記述が自身でできるようになるのかというレベルでしょうが。。。
研究にはお金がいるので、予算をとるためには、日常語で語るべきで、何にせよ難しいですね。

 

 

 

我々はどこから来たのか

我々は何者か

我々はどこへ行くのか

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

 

 

廃プラは技術者が真っ当に向き合った記録

良い言葉が見つかりません。

 

お客様とお話させていただく際、単なるお金の話だけでなく、製品の話を聞かせていただくことがあります。
私に話しても仕方ないと思われているかもしれませんが、、、私はこちらの方が楽しい時間です。

 

お話から製品へのこだわりや思いを感じます。私の引き出しが少ないのが申し訳ありませんが、、、それでもお話していただけます。感謝です。

 

 

「簡単に見えるかもしれないけど、これは技術の塊やからね」

 

そう言われて、分かっていたつもりでしたが、ものづくりのプロとしての矜持があるからこそ廃棄される製品があるのだと実感しました。

 

技術を磨くために作ったものも廃プラにはあります。

良いものを作るために出てくる副産物であると。廃プラの方がいろんな挑戦の跡があるんじゃないかとも。

 

 

それは、ごみじゃない。

 

まだまだ私たちにも向き合うべきごとがある、そう思わされます。

Venus Flytrap

お世話になっております。
3年前に買った1株のハエトリグサが5株になりました。現在、可愛らしい白い花を咲かせています。

会社で育てていたのですが、ちょっと弱っていたので、自宅に持ち帰っておりました。
なかなか蕾が花開かず、新しい葉も少なかったので、開花前に花を摘んでしまおうかとも思いましたが、無事に花も咲かせました。

 

待ち望んでいた開花ではありましたが、台風に起因する強風が心配で花を摘みました。
浅い根張りであることから、水で土壌が緩み、強い風が吹くと、自身の花の重さに耐えきれず横倒しになってしまいます。
また、花に栄養を取られすぎて、株自体は弱ってしまいます。

 

 

今朝摘んだ花を子どもに渡したら、ずっと離さず、保育園の中に持っていきました。
ハエトリグサの葉を蝶々と言って鷲掴みする子どもでもあります。
それでも、無事花を咲かせ、一番喜んでくれる子どもに渡せて良い形で会社に戻せそうです。

会社は会社で、ハエトリソウの葉の開閉を楽しみたい欲求に駆られて、葉が枯れるリスクを度外視して触られる方もいますのも難しいもので、、、


今年も虫の殺生を行っております。

虫に痛覚はあるのか、、、熱や圧力に反応する神経細胞の受容器はあるようで、この受容器が中枢神経の脳でどう処理されるか?
非常に心苦しい問題です。
木の剪定をしていると、身体のどこかに蟻や毛虫がつくことはあるし、蜂に襲われることがあります。私自身は幸運なことなのか嚙まれたり刺されたりしても比較的軽傷ですむことが多いです。
それでも取引先の方に何かあったら矛先は弊社に来ますし、蜂はアナフィラキシーが怖いし、木や花だって弱ります。
基本的に物理的に対処します。会話は成立しません。薬は毒や窒息を思わせるので、あまり使いたくありません。
だから、某ラケットの子ども用で物理的にとなります。
少なくとも短視点的であれば、ピンセットで離れたところに(目の届かないところに)投げ捨てることも考えられます。
鋏で羽根だけ落としたら、、、何が可哀想で何が妥協点になるか、わからなくなります。


何が環境事業なのか、誰のための何のための環境なのか、何かをすれば益も害も生み出すものです。
いろんな物差しがあれば、いろんな(広い意味での)学説もあり、なんだかんだで自分にとって都合の良い立場を良いように捉えてしまう弱さ・思考停止の部分もあり、、、

これが何かのブレイクスルーとなりうるのか、ただただ沈んでいくだけなのか、、、

 

何を見て、何を見ないか、どこまで見るのか、、、、結局、自分自身と向き合うことになります。

私はどう生きたいのか、、、いつだって水鏡に映る私は揺れています。

 

雨で始まるGW

小雨をふらす老樹のうつろのなかに
たましひをぬらすともしびうまれ、
野のくらがりにゐざかりゆく昆虫の羽音をつちかふ。

                  (大手拓次)

 

ゴールデンウィーク中にやりたいことのひとつに、膜分離の思想として、膜や境界に皮膚、数学におけるgeneral topologyのboundaryについてまとめたいと思っていたところ、松岡正剛氏の千夜千冊に久しぶりに誘われ、この小雨が丁度大手拓次氏の言葉が同サイト内にあったなと引用いたしました。

ここから、「大手拓次氏はライオン歯磨本舗様の広報部におられたな、私も広報といえば天文台の広報にいて、最近話題になったi-space様、、、」との話か、「うつろといえば、虚舟で、松岡正剛氏が以前中空構造と虚ろの話で澁澤龍彦氏の話を、、、」との話か、「ゐざかりは遠ざかり(遠ざかる)というように、い避かる、、、」との話か、、、ゆっくり思考をぐるぐるさせていたいところでした。

ビジネスでは「巧遅は拙速に如かず」が重要になることが多く感じられます。

時には、ポツポツと言葉を紡ぎたいと思うこの頃です。
ブログがビジネスとしての広報になっているのか、どうかは別として。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

迷走するロケット、舞う<天使>、地を這うドードー(ピンチョン)

カメラは音も立てずに物かげからこっそり(中略)古く変色した銀の冠をかぶっている。

(略)

まるでその一齣が停止して、あの永遠なる黄金の一瞬へと引き延ばされたかのようだ。ま新しく、しかも変色した黄金の一瞬へと。

(略)

古めかしく雨風に傷んだ窓ガラスに、フィルムに収める静止した一瞬、彼女のドレスが、顔が、髪が、手が、ほっそりしたふくらはぎが、すべてガラスと一体になって輝く――それはあちこちに落ちるロケットの爆風に一日中震える半透明な雨の守護神。

(略)

この北方の古い形式――つまり、迷える子どもたち、お菓子の家に住む森の魔女、囚らわれの身、肥え太ること、<オーブン>など――こそ保持すべき自分たちの日常生活、つまり避難所なのだ。かれら三人には耐えられないだろう、外部の――<戦争>、「偶然」の絶対的支配、そのまっただなかに置かれた自分たちの身の上のおぼつかなさなどには……。

(略)

しばしばロケットは狂って、でたらめに方向を変え、キーンというものすごい音を立てて迷走し、回れ右して墜落する。手もつけられず、しかも恐ろしいことに修正もできずに狂ったままで。

(略)

心中ひそかにこれだけは、信じているかもしれない。あらゆる<おとぎ話と神話>のなかでこの形式だけは。つまり、森のなかのこの魔法の館がのちのちまで残り、たとえ偶然にしろここに爆弾が落ちることはないと信じているのだ。

(略)

何のためだったのだろうか。殺戮の海、壊疸の冬と飢えの春、不信心な人物の徹底的追跡、〈獣〉と格闘する真夜中、氷になった汗と青白い雪となった涙、こういった瞬間を求めるのでないとすれば。

(略)

われわれ人間のただの餌食だ。神はそれほど残酷であるはずがない。

(略)

しかし信念に関していえば……かれは手にしている銃という鋼鉄の現実しか信じられない。

(略)

雪がくるくる舞い、目に見えない針が緑色のブラインドのむこうの神経のない窓ガラスにこつこつあたる。フィルムがリールに入れられ、電灯が消され、蛸のグリゴリーはスクリーンに注意をむける。スクリーンにはすでに人影が歩いている。カメラは、(中略)古く変色した銀の冠をかぶっている・・・・・・。