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カテゴリー別アーカイブ: 独り言

物語が存在しない時代

何の意味もない独り言です。

物語が存在しない時代、つまりそれは日本近代文学の終焉ということだが、中上健次以降、そのことが露わになったのだ。

(中略)

言うべきことや語るべきことがなくただ手法だけがある時代

(中略)

言うべきことや語るべきことを持っているのは基本的に政治家だとわたしは思う。作家やその他の表現者は言うべきことや語るべきことがあって作品を作るわけではない。

(中略)
中上健次はキューバを知ることなく死んだ。

キューバの音楽とダンスは、(中略) わたし自身の中でベルリンの壁やソ連の崩壊に重なっていた。

(村上龍「寓話としての短編」1997.06)

今や政治も手法が前面に出てきたり、没入の仕方が分からない物語の政治が出てきたりしているような気がします。

ただ、、、ただ、だからと言って、活用できる手法が目の前にあるのに、それの見方が分からない(分かろうとしない)政治も、この混迷を極める現代においては問題ではないかとも思います。

実際政治に必要なのは,このような巨視的状態である.だれがどうということはまずまず問題ではない.この巨視的な社会状態がどう変化するかということが,関心事なのである.
 これは統計力学においてわれわれの当面する問題と本質的に同じ意味をもっている.多数の粒子から成る一つの物体をみているとき,その分子一つ一つの運動はわれわれの眼にははいらない.(中略)統計力学はわれわれに必要な巨視的な知識を,微視的な立場から簡明に与えてくれるのである.
 その基礎には,常に何か確率的なものが横たわっている.社会現象の場合にも,上にいったようなある巨視的な見方をするときには,だれだれがどうしたという微視的な立場を離れて,全体をある統計的な立場からみるということが基礎になっているわけである.

(久保亮五『統計力学』1952)

久保先生の隻眼には感服いたします。

70年以上前に書かれていたとはいえ、知らなかった文章ですが、私なりに研究していた時代、いや10代のあの時に知っていたら良くも悪くも勇気づけられていたと思う文章です。

留学時代「日本より五十年進んでいる」と世界一のドイツ数学に圧倒された博士に、独創への自信はまだなかったのではないか。ところが四十歳を目前に勃発した第一次大戦により、ドイツの本や論文が入らなくなった。「学ぶ」から「創る」へと切り換えざるを得なくなった博士は、五年間の激しい集中により大戦後間も無く、ドイツ数学を呑み込んでしまうような類体論を完成した。二十世紀数学の巨匠ヒルベルトが予想した理論を遥かに超えるものだった。生まれたものが余りに画期的だったので、本当に正しいのかどうか自信がなく、高木は「どこか間違えているはず」と証明完成のあと、一ヶ月も間違いを探し続けたという。ヨーロッパ最大の悲劇であった第一次大戦は、高木貞治の、そして日本数学の幸運であった。

(藤原正彦「天才には幸運がつきもの」2004.07.19)

情報過多の時代が続いている現在だからこそ考えさせられるとともに、ここまで人工知能が学習能力をもった時代だからこそ、とんでもない研究が生まれるような気もします。

人生は短いので、早くAGIが登場し、物的世界を構築できる統一理論を見せて欲しいとも。
そして、その後の世界だからこそ見えない人間の人間らしさがあるといった幻想も抱いています。そこに物語が再生するんじゃないかと。
まぁ、SFで何度も描かれた世界ではあるのだろうけど。

暖かや蕊に蠟塗る造り花

 

暖かや蕊に蠟塗る造り花   (芥川龍之介)

 

春の季語「暖か」を使い、そこに生命を感じさせる蕊(しべ)が来たと思ったら、熱で溶ける蠟(ろう)が来て、造花という人工の花。
何とも芥川っぽい作品です。
1900年前後ですから紙や布に塗っているのかは分かりませんが、羅生門などを思うと、暗闇で蝋燭から筆で塗っているような、春とは違う暗さを感じてしまいます。

 

花の木に あらざらめども 咲きにけり
ふりにしこの身 なる時もがな
      (古今和歌集 445 文屋康秀)

 

こちらは木(メドハギ)を削って作った削り花(造花)ですが、こちらも「私も役に立つ(実がなる)時がくればいいのに」と下の句が来ているように、自身の不遇を歌うと、、、なかなか上手い歌です。

 

冷たい風が入り混じるものの、日中は夏日がやってくるなど、暖かくなりました。外で作業していると暑すぎなくらいです。
ここから夏がやってくると思うと、ぞっとします。

防草シートが色んな場所で施工されているのを年々見かけるようになってきました。
草抜き草刈をして、家庭菜園や花壇を作って、、、といった作業も、この数年の酷暑で随分苦しくなったのではないでしょうか?

道路沿いにきれいに花を植えてあるところがあったのですが、一昨年くらいに防草シートが張られたと思ったら、昨年にはコンクリートが流し込まれていました。

花(植物)を愛でるというのは自然へ愛を向けていることになりますが、そのために猛暑日に草抜きするなど維持管理をするのは大変で、自然から苦難を向けられているような気にもなります。物価の上昇も花の苗だって御多分に漏れず2倍どころでない苗もあります。

桂離宮の枯山水とは別の動機で同様な成果物が出てきそうですね。
そこで、最初の句に戻ってくるわけです。

AR(拡張現実)など何を使うかはアイディア次第ですが、古きを想い、四季を再現する、、、
そもそも異常気象によって四季自体失われる未来がやってきて、現在の異常気象が以上でなくなるかもしれませんし、、、

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

DeepSeekと強化学習、蒸留

樹脂分別のひとつの方法として、片っ端から外観で覚える方法があります。不特定から樹脂を集めるケースではなく、イレギュラーはあるものの工場関係のお客様には有効です。

但し、取引工場様ひとつだけでも数百個で足りないくらい外観の種類はあると言っても過言はないし、ランナー品は非常に似ています。

そうした場合に画像認証を持ち込むのは有益だと思います。但し、質感はカメラに捉えきれないし、破損品等の外観問題やイレギュラー品、試作品、新製作品もありますし、機密情報漏洩のリスクも出てきます。
ただ、画像認証の開発のラフスケッチはしたことありまして、、、、

改めて行列(matrix)の道具としての実用性(表現性)に関心するわけですが、、、

 

DeepSeek ショックです。

 

arXivにDeepSeek-AIの論文が出ていますね。分かりやすく解説してくれているウェブページもあります。

データからAIが認識してアウトプットするための学習は、教師あり学習、教師なし学習、強化学習があります(ほか、半教師あり学習)。
この学習をするために、プログラミング言語Pythonに興味を持つとこう紹介されるわけです。但し、前者2つは比較的例が豊富でテキストも出ていますが、強化学習となるとより踏み込んでいく必要があります。
強化学習は用途が高度というべきか、得られる結果が直観的で分かりやすいのが教師あり学習でしょう。

私もそうですが、画像認証させるために、データを用意するのが手っ取り早く、教師あり学習に流れていきます(画像認証系を識別AIともいうようです)。

そして、現在の主流の生成AIもそうです。

この学習のアルゴリズムもしくは中間層構造システムの行列計算処理を大量のGPUが担っているわけですが、このGPUが大量すぎてデータセンターは電力を無尽蔵に消費します。

壮大な量の詰め込み学習をするので、物量任せですらありますが、その学習をした分の成果も大きいわけです。

 

一方、今回のDeepSeekは膨大なデータではなく、各要素に評価付けできる(報酬の獲得)モデルをつくり、アルゴリズムによって報酬を最大化します。あとは自身でシミュレーション検証を繰り返して、閉じた状態で学習します(強化学習)。
このアルゴリズムがGroup Relative Policy Optimization (GRPO)で(略。というか分かりません)
要は、強化学習を巧みに使っています。

通常は、膨大な教師あり学習させて、仕上げに強化学習でブラッシュアップするようですが、こちらは最初に強化学習をもってきています(アルゴリズムは全然違うはずです)。
シンプルに言えば、この「膨大な教師あり学習」を必要としないことで、大量のGPUを必要としないと言えます。

強化学習の後、高品質データのみを学習させて微調整してスタートする、アウトプット面などの修正を加えていっています。それによって一部従来の生成AIと同等のパフォーマンスを達成し、さらにそれを蒸留した小型モデルで教師あり学習をすると、小型だから計算処理量が少なくても(低容量でも)、きちんとパフォーマンスを達成したようです。

※モデルを小型化(圧縮)する方法として、Pruning(枝刈り)、Quantize(量子化)、Distillation(蒸留)が代表的であり、今回のモデルには蒸留が使われたことになります。一部、量子化モデルもあるような情報が出ていますが、私の目を通した論文にはDistillationのみでQuantizeは出てないので、取り合えずこのままにしておきます。

 

と、素人ながらに、こういうことだよなと感動しています。
何がこういうことなのかは企業秘密ですが、とにかく方向性を定めて、精進いたします。

 

雨の詩

夕食どきだった。彼はどこで食事をしたらいいかわからなかったので、通りの街灯の下にたたずんでいた。突然、街灯が点り、石畳の上に複雑な光を扇のように広げた。なおも彼が立っていると、稲妻が光った。通りにいる人間がみんな顔を空に向けた。そうしなかったのは、彼と彼女だけだった。川を渡る一陣の風が、腕を組んで、回転木馬のように飛びはねて遊んでいる子どもたちの笑い声をこちらに投げかける。川風に乗って、窓から身を乗り出して子どもたちに叫んでいる母親の声が聞こえてくる。雨よ、レイチェル、雨よ―雨が降ってくるよ! 花売りが、片目で空を見上げながら、雨やどりの場所を探して走っていく。グラジオスや蔦のある花を積んだ荷車が今にも壊れそうな音をたてる。ゼラニウムの鉢がひとつ荷車から落ちる。小さな女の子たちが落ちた花を拾い集めて、耳のうしろにさす。駆け出していく人間たちの足音と雨の音がまじり合い、歩道で木琴のような音をたてる。―さらに、ドアが急いで閉められる音、窓がおろされる音が聞こえてくるが、そのうち、あたりは静かになり、雨の音しか聞こえなくなる。やがて、彼女がゆっくりとした足どりで、街灯の下に近づいてきて彼の横に立つ。空は、雷で割れた鏡のように見える。雨がふたりのあいだに、粉々に砕けたガラスのカーテンのように落ちて来たからだ。

「無頭の鷹」カポーティ(川本三郎訳)

 

ポツンと空いた穴

天には星はあんまり見えんけど
そのぶん東京は地上に星が降るんだねえ・・・

「天の星は死人のためのもの」
遠くにありて美しい

「地上の星は生身の人間が汗水たらして作るもの」
綺麗なだけではないかもしれんけど
血の通うパワーと温度がある

             芦原妃名子『砂時計』

 

2020年4月1日に本ブログで引用しました。
記事のタイトルは「失われゆく宇宙」。

個人的な話にはなりますが、『砂時計』が好きで、仁摩サンドミュージアムにも足を運びました。近くの砂浜に行って、鳴り砂で遊びました。後ろ向きに歩く方がキュッキュ鳴りました。
もう15年くらい経つ昔の話です。

今日は樹脂分別したり、打合せに行ったり、行政への申請書類準備があったり、慌ただしかったのですが、剪定の時間を2時間弱作りました。
剪定は現在の形を整えるものでもあり、春以降を想いながら未来の準備をするものです。
今日は必要な時間でした。
2時間弱でも足の裏のアーチへの負担はあり、意識しないと足を引き摺ってしまいました。踵骨を真っ二つに割って丁度4ヵ月です。

最近の読書は専ら、非平衡統計力学に関するもので、そこから現象論的にアプローチしての分離膜近傍の解析(微積)を考えたり、どうやら昔やった有限要素解析も持ち込めるのかと考えたり、、、たまに急き立てられるかのように行列模型で時空のことを考えたくなったり、、、
芦原作品とは離れていたのですが、急に飛び込んできた訃報に、戸惑いながら1日過ごしています。

何の因果か、東京時代の友人が来週宮崎に仕事で寄るのですが、その友人というのが仁摩サンドミュージアムに一緒に行って思い出を共有した者で、、、

この哀しみを、失った宇宙の重みを共感してくれる友人が、来週やってくるのは、改めて実感しないといけない辛さもやってくるようで、、、

不意打ち過ぎて、なにものも埋められない穴が開いてしまったことが、ただただ忽然たる事実として在る、この触ることができない「在る」の処理に困ってしまいました。

 

 

 

……僕も
何かを残してみたいなぁ…
静かに
人の心に残すものを
あんなにすごくなくていいから

手に入れられなくていい
一瞬
ほんの少し触れるだけでいいから

決してつかめやしないあの月を
どうしてもつかんでみたくなるんだよ

         芦原妃名子『月と湖』

 

『月と湖』作中人物が中原中也「湖上」を口にした後の台詞。回想中の台詞。

「植える」という意味と「捨てる」という意味があった~piantare~

大聖堂の裏に一本の木があった
枝先までひたすら花をつけていた
風が花を啜っていく
ただひたすらのときのなか 生まれてくるものピアンターレには
「植える」という意味と「捨てる」という意味があった
「どちらもそこでひとり生きていくようにということだから」

イタリア人の先生は説明した
はじめに 植えるという形で捨てられていた と
そのときおもったが
ただひたすらのときのなか
捨てられたのかもしれない
植えられたのかもしれない

この木を過ぎて
ナッタ通りを下って行こう
いくつかの通りを行ったら
戻っているだろう
人の世に

          (伊藤悠子「この木を過ぎて」『道を小道を』より)

秋はいずこに

秋の田の かりほの庵の 苫を荒み わがころも手は 露に濡れつつ 

(天智天皇)

 

百人一首の第一首がこの和歌とは感慨深いものです。

宮崎はまだ秋のようで慌ただしく年末に向かっています。

朝、分離膜による油水分離設備の始動をし、バックヤードの樹脂を触りながら、混入チェックやその日の作業内容(特にA型就労者)を最終確認します。
そうすると露で作業服のいろんなところが濡れます。

従業員も朝は露で作業着を湿らしています。

冬の賞与ですね。この和歌を詠みながら渡しましょうか?

元は万葉集の作者不詳の歌。それが天智天皇の歌になっていることで、意味合いが深くもあり、もしくは政治的にも感じられます。

 

樹脂識別機器の原理

樹脂の識別方法として、分析機器測定があります。

有機化合物の成分同定もしくは分子構造の同定といった分野があります。 例えば、新薬を作ったときに、目的物ができているか見ないといけません。逆に、異物混入していないかも必要です。

直接見ることはできないので、分子構造や官能基を間接的にみることになります。

その方法としては、質量分析法(Mass Spectrometry ;MS) 、核磁気共鳴分光法 (Nuclear Magnetic Resonance spectroscopy ;NMR)、赤外分光法(Infrared spectroscopy ;IR)などが有機化合物のスペクトル分析の代表格でしょうか。

樹脂の識別に限れば、ある程度、赤外分光法(IR)でできます。ひとくちにIRといっても、分散型とフーリエ変換型でスペクトルを得る方法が大別されますし、測定法も5種類ほどあり測定法に合わせて試料の状態や必要なものが違ってきます。

本稿では、どうして赤外線で分かるのかといった原理をざっくり説明できたらと思っています。

照射された赤外線のうち吸収された部分、当該赤外線はどの領域の波数(Ex.1cm内の端波の数)でどれくらい吸収されたかが情報になります。
赤外線といっても780~10万nmの幅があるので、いろんな長さの波があります。そのいろんな長さのうち、どの長さ(赤外線波数領域)と反応するかをみるわけです。

 

分子はいくつかの原子が結合しているわけですが、分子内の原子の違いや結合の違いによって官能基部分毎の結合力が変わり、その結合力と赤外線波数領域が対応しています。

赤外線は人体に当たると暖かく感じます。つまり、エネルギーを与えられています。分子結合部分が振動し、エネルギー準位が遷移します。
この遷移という動きが心電図のピコンと反応するピーク(R波)みたいに現れ、心電図に相当するのが赤外吸収(IR)スペクトルになります。

だから、心電図から読み解くように、樹脂の同定もIRスペクトルから読み解く(間接的に分子構造をみる)ことになります。

 

それでは、より深くみるために、簡易モデルを設定しましょう。

原子Aと原子Bの二原子間で考えます。この原子間を結びつける力(結合力)は単振動のバネで近似することができます。一般にこれを調和振動子と呼びます。

結合力をバネ係数k、換算質量 として単振動を考えると、ポテンシャルエネルギーと運動方程式より、振動数 、従いまして、波長より

波数が得られます。

よって、波数と結合力は正の相関、波数と換算質量は負の相関があることがわかります。

 

次に、量子化して考えましょう。つまり、波ではなく粒として考えます。

運動量pとして、2原子間が基準よりxだけ伸びて単振動運動したとき、調和振動子のエネルギーの式は次の通り。

シュレーディンガー方程式は

これを漸近解をguesssしてエルミート多項式を乗じて、元式を満たす解を作り、漸化式を(以下、略)

シュレーディンガー方程式の解として、粒1つ1つの離散(整数)関数の解が得られます。飛び飛びになるエネルギー遷移が説明できます。

遷移エネルギーは

となるので、エネルギー準位遷移によって、特定の波数の赤外線が吸収されることが分かります。

※調和振動子を前提にしましたが、厳密には振動は非調和でボテンシャルエネルギーはモースポテンシャル関数で表すようです。単振動の線形モデルがそのまま援用できるわけないですからね。ただエンジニアリングモデルとして線形性は妥当ですよね、非常に簡単に相関を追っていけるので。

再掲しますが

より、赤外線を照射すると当該官能基(原子間)結合力に応じた波数の赤外線部分が吸収されることでエネルギー準位遷移がおき、IRスペクトルの当該波数上でピークが見られることが分かります。

逆もしかりで、いろんなノイズを取り除ければ、分析器からIRスペクトルを出力し、そのピークが起きている波数領域をみれば、何の官能基か推測できることになります。
ピークが複数個起きているので、それぞれの官能基を推測すれば、分子が推測でき、そこから樹脂が同定できます。

実際に分析する際は、このノイズを取り除いて当該樹脂由来部分だけのIRスペクトルを得ることが重要になります。もしくは充填剤がどんなピークをもたらすか、樹脂同定と異物同定双方を頭に入れる必要があるのではないでしょうか。
そして、黒色問題ですね。赤外線を吸収するので、いかに敏感に(反応よく)測定できるかが重要になります。ハンディタイプの簡易識別機がありますが、ネックになるのがここでしょうね。

最後に、、、ここまで御託を述べましたが、弊社には分析機器がありませんし、原理もすべて独学なので、説明に飛躍があるのは愛嬌ということでお許しください。
ATR法のできるフーリエ変換型の分析計測機器は欲しい(使いたい)んですけどね、、

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

膜とは何か? 思想篇

9月になったとはいえ、まだまだ湿度の高い暑い日が続きますね。

最近、廃棄物許可更新のための講習会(試験)がありました。
講習会で代表的廃棄物の中間処理方法が紹介されるのですが、廃油処理に分離膜はでてきません。埋立地の浸出液処理の方で簡単に紹介されます(膜の種類と透過防止対象)。
埋立地での分離膜モジュールは分かりませんが、弊社では切削加工部品の洗浄排水等のエマルション性含油廃水を対象にしているので、浸出液のような薄い液はもちろん濃い液体も分離しております。濃いと膜のファウリングが起きやすく、処理工程が円滑に進まないのですが、色々な工夫をして膜の能力が長期的に発揮できるようにしております。

 

後付けではありますが、今回は、「膜とは何か?」をテーマに書きたいと思います。

 

私は(分離)膜の事を考えない日はないのですが、そもそも膜とは何でしょうか?

 

我々生物には細胞膜があります。私が大学1年生のころに図書館で論文誌を初めて手に取って目を奪われた(記憶に残っている)のが、生体膜とイオンチャンネルに関するものでした。論文内容は忘れたのですが、生物の細胞というのは膜で覆われていて、この膜には選択的にミネラル等のイオンを通すゲートがあります。このゲートのメカニズムの研究だったと思います。
現象として在るものの微小世界の機構で制御されている、世界の成り立ちに興味を持ち、そうした研究をしたいと思うようになった出会いでした。

 

そう、この眼前に広がる世界もスケールを小さくしていけば、素粒子で成り立っています。
これがどう成り立っているか説明できる、世界の構成最小単位の仕組みが説明できれば世界全体が説明できる、統一理論の夢があるわけです。

 

議論の余地は大いにあれど、超弦理論がその筆頭にあります。粒子が点ではなく線であることで有限性が生まれるので理論破綻を免れ(半径0でなくなるので無限大量でなくなり)、M理論をもってくることで重力子を超弦理論に取り込めるようになりました。

 

この統一理論ないし超重力理論のM理論に登場するDブレインは「膜」なんです。水面のように広がった、場の理論のソリトンなんです。
ひも状の開弦は両端を固定端として膜に貼りつき、わっか状の閉弦は膜から浮いた状態(もしくは膜同士をつなぐ円筒)として説明されます。

 

語弊はあれ、この世の現象は膜状のものによって築き上げられている、と考えれば、胸は高鳴ります。

 

取り込めたからといって諸々の整合性や実証性が不完全であるようですが、、、(最近は8月10日に2018年から開始していたミュー粒子の実験統計値が統一理論の手前の標準理論から導かれる予測値に合わなかったようです。最終的な結論が出るのは2025年のようですが、理論がおかしいのか、実験がおかしいのか、難しい問題です。

 

 

話は胸の高鳴った細胞膜に戻ります。

 

そもそも生物の定義とは何でしょうか?

ある程度生物学者たちに受け入れられていると言われるのが次の3条件です。
(1)外界と膜で仕切られている、(2)代謝を行う、(3)自己複製する

 

そう生物の定義にも膜が出てきます。
M理論の膜は数学的要請に応えるもので、boundaryな性質をもっていると考えれば、膜というものに向き合うことが我々の存在にも向き合うことになると、、、

 

数学は数学語で語るべきで、哲学は哲学語で語るべきで、日常語を持ち込むと数学の世界のことを説明しきらない不誠実さが生まれるので、、、知らずとソーカル事件が生まれるわけです。かといって、M理論なんて私が素粒子物理学を専攻したとして何年かけて数学的記述が自身でできるようになるのかというレベルでしょうが。。。
研究にはお金がいるので、予算をとるためには、日常語で語るべきで、何にせよ難しいですね。

 

 

 

我々はどこから来たのか

我々は何者か

我々はどこへ行くのか

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

 

 

廃プラは技術者が真っ当に向き合った記録

良い言葉が見つかりません。

 

お客様とお話させていただく際、単なるお金の話だけでなく、製品の話を聞かせていただくことがあります。
私に話しても仕方ないと思われているかもしれませんが、、、私はこちらの方が楽しい時間です。

 

お話から製品へのこだわりや思いを感じます。私の引き出しが少ないのが申し訳ありませんが、、、それでもお話していただけます。感謝です。

 

 

「簡単に見えるかもしれないけど、これは技術の塊やからね」

 

そう言われて、分かっていたつもりでしたが、ものづくりのプロとしての矜持があるからこそ廃棄される製品があるのだと実感しました。

 

技術を磨くために作ったものも廃プラにはあります。

良いものを作るために出てくる副産物であると。廃プラの方がいろんな挑戦の跡があるんじゃないかとも。

 

 

それは、ごみじゃない。

 

まだまだ私たちにも向き合うべきごとがある、そう思わされます。