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カテゴリー別アーカイブ: 独り言

Venus Flytrap

お世話になっております。
3年前に買った1株のハエトリグサが5株になりました。現在、可愛らしい白い花を咲かせています。

会社で育てていたのですが、ちょっと弱っていたので、自宅に持ち帰っておりました。
なかなか蕾が花開かず、新しい葉も少なかったので、開花前に花を摘んでしまおうかとも思いましたが、無事に花も咲かせました。

 

待ち望んでいた開花ではありましたが、台風に起因する強風が心配で花を摘みました。
浅い根張りであることから、水で土壌が緩み、強い風が吹くと、自身の花の重さに耐えきれず横倒しになってしまいます。
また、花に栄養を取られすぎて、株自体は弱ってしまいます。

 

 

今朝摘んだ花を子どもに渡したら、ずっと離さず、保育園の中に持っていきました。
ハエトリグサの葉を蝶々と言って鷲掴みする子どもでもあります。
それでも、無事花を咲かせ、一番喜んでくれる子どもに渡せて良い形で会社に戻せそうです。

会社は会社で、ハエトリソウの葉の開閉を楽しみたい欲求に駆られて、葉が枯れるリスクを度外視して触られる方もいますのも難しいもので、、、


今年も虫の殺生を行っております。

虫に痛覚はあるのか、、、熱や圧力に反応する神経細胞の受容器はあるようで、この受容器が中枢神経の脳でどう処理されるか?
非常に心苦しい問題です。
木の剪定をしていると、身体のどこかに蟻や毛虫がつくことはあるし、蜂に襲われることがあります。私自身は幸運なことなのか嚙まれたり刺されたりしても比較的軽傷ですむことが多いです。
それでも取引先の方に何かあったら矛先は弊社に来ますし、蜂はアナフィラキシーが怖いし、木や花だって弱ります。
基本的に物理的に対処します。会話は成立しません。薬は毒や窒息を思わせるので、あまり使いたくありません。
だから、某ラケットの子ども用で物理的にとなります。
少なくとも短視点的であれば、ピンセットで離れたところに(目の届かないところに)投げ捨てることも考えられます。
鋏で羽根だけ落としたら、、、何が可哀想で何が妥協点になるか、わからなくなります。


何が環境事業なのか、誰のための何のための環境なのか、何かをすれば益も害も生み出すものです。
いろんな物差しがあれば、いろんな(広い意味での)学説もあり、なんだかんだで自分にとって都合の良い立場を良いように捉えてしまう弱さ・思考停止の部分もあり、、、

これが何かのブレイクスルーとなりうるのか、ただただ沈んでいくだけなのか、、、

 

何を見て、何を見ないか、どこまで見るのか、、、、結局、自分自身と向き合うことになります。

私はどう生きたいのか、、、いつだって水鏡に映る私は揺れています。

 

雨で始まるGW

小雨をふらす老樹のうつろのなかに
たましひをぬらすともしびうまれ、
野のくらがりにゐざかりゆく昆虫の羽音をつちかふ。

                  (大手拓次)

 

ゴールデンウィーク中にやりたいことのひとつに、膜分離の思想として、膜や境界に皮膚、数学におけるgeneral topologyのboundaryについてまとめたいと思っていたところ、松岡正剛氏の千夜千冊に久しぶりに誘われ、この小雨が丁度大手拓次氏の言葉が同サイト内にあったなと引用いたしました。

ここから、「大手拓次氏はライオン歯磨本舗様の広報部におられたな、私も広報といえば天文台の広報にいて、最近話題になったi-space様、、、」との話か、「うつろといえば、虚舟で、松岡正剛氏が以前中空構造と虚ろの話で澁澤龍彦氏の話を、、、」との話か、「ゐざかりは遠ざかり(遠ざかる)というように、い避かる、、、」との話か、、、ゆっくり思考をぐるぐるさせていたいところでした。

ビジネスでは「巧遅は拙速に如かず」が重要になることが多く感じられます。

時には、ポツポツと言葉を紡ぎたいと思うこの頃です。
ブログがビジネスとしての広報になっているのか、どうかは別として。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

迷走するロケット、舞う<天使>、地を這うドードー(ピンチョン)

カメラは音も立てずに物かげからこっそり(中略)古く変色した銀の冠をかぶっている。

(略)

まるでその一齣が停止して、あの永遠なる黄金の一瞬へと引き延ばされたかのようだ。ま新しく、しかも変色した黄金の一瞬へと。

(略)

古めかしく雨風に傷んだ窓ガラスに、フィルムに収める静止した一瞬、彼女のドレスが、顔が、髪が、手が、ほっそりしたふくらはぎが、すべてガラスと一体になって輝く――それはあちこちに落ちるロケットの爆風に一日中震える半透明な雨の守護神。

(略)

この北方の古い形式――つまり、迷える子どもたち、お菓子の家に住む森の魔女、囚らわれの身、肥え太ること、<オーブン>など――こそ保持すべき自分たちの日常生活、つまり避難所なのだ。かれら三人には耐えられないだろう、外部の――<戦争>、「偶然」の絶対的支配、そのまっただなかに置かれた自分たちの身の上のおぼつかなさなどには……。

(略)

しばしばロケットは狂って、でたらめに方向を変え、キーンというものすごい音を立てて迷走し、回れ右して墜落する。手もつけられず、しかも恐ろしいことに修正もできずに狂ったままで。

(略)

心中ひそかにこれだけは、信じているかもしれない。あらゆる<おとぎ話と神話>のなかでこの形式だけは。つまり、森のなかのこの魔法の館がのちのちまで残り、たとえ偶然にしろここに爆弾が落ちることはないと信じているのだ。

(略)

何のためだったのだろうか。殺戮の海、壊疸の冬と飢えの春、不信心な人物の徹底的追跡、〈獣〉と格闘する真夜中、氷になった汗と青白い雪となった涙、こういった瞬間を求めるのでないとすれば。

(略)

われわれ人間のただの餌食だ。神はそれほど残酷であるはずがない。

(略)

しかし信念に関していえば……かれは手にしている銃という鋼鉄の現実しか信じられない。

(略)

雪がくるくる舞い、目に見えない針が緑色のブラインドのむこうの神経のない窓ガラスにこつこつあたる。フィルムがリールに入れられ、電灯が消され、蛸のグリゴリーはスクリーンに注意をむける。スクリーンにはすでに人影が歩いている。カメラは、(中略)古く変色した銀の冠をかぶっている・・・・・・。

アゲラタムの花言葉は。。。

ご無沙汰しております。

夏に書こうと思っておりましたが、冬になってしまいました。
県知事選挙が終わった後に、再度書こうと思っておりましたが、また伸びてしまいました。
と、思っていたら、もう春の陽気です。3月ですが、日中はもう初夏がやってくる勢いですね。

あちらこちらに綺麗な花が目に惹くようになりました。道路沿いであったり、民家であったり、様々なところで花壇を目にすることがあると思います。

以前であれば「黒木さんちの芝桜」と言えば、「新富町の上新田のあそこでしょ」なんて話が出てきました。ネットを利用すれば、知る人ぞ知る隠れ名所も出てくるかもしれません。個人宅での撮影には注意しましょう。無断侵入・撮影は問題がありますし、花壇の手入れをしていると「天国のようにきれいな花畑ですね」と声をかけてきた方が、これから花を咲かせる花卉を踏みつぶしていたなんて話を聞いたことがあります(何も知らないと草と見分けがつかない可能性も、球根が埋められている可能性もあります)。

 

【感謝の気持ちを伝える花】
花はふとした瞬間に心の琴線に触れる力があります。それは単なる美しさだけではない生命宿るものがもつ力だと思います。

血は流れていなくても、地に根を生やし、体内には流体物があります。運動があり、伝達があります。

 

取引先の関係で弊社が花を植えている花壇があるのですが、ある初夏に青いアゲラタムを植えました(他の花も植えていますが、割愛)。そうしたら何故か草が生えない日が続きました。

秋が終わる頃、花の植え替えに立ち寄ると、声をかけてこられる方がいました。その方は近所で牛の畜産業を営んでいる方でした。

平成22年の口蹄疫は本当に大変で、多くの人の助けがあったから現在があるのだと話されました。それは10年たった今でも感謝しても感謝しきれないくらいの思いで、その思いを何かで示したいと思っていたそうです。
この青いアゲラタムが目に入ったとき、何とも言えない愛おしさに溢れたそうで、青いアゲラタムの世話をすることが感謝の思いを示すことになると感じたそうです。

 

【花言葉】
アゲラタム(ageratum)はギリシャ語で不老です。日本で越冬は難しいのですが、初夏から晩秋まで花を咲かせてくれます。暖かい国では多年草で、毎年長い期間、花を咲かすことから不老の名を持っているのでしょう。そこから、信頼、安泰といった花言葉がつけられています。特に青い花の方に信頼という花言葉がついているようです。

2022年は傷ついてばかりでした。そんな折、久しぶりにこの時の畜産農家の方にお会いしました。アゲラタムのことを思い出して、信じて信じて悩みながらも折れずに何らかの花を咲かせ続けたいと思い起こさせてもらえました。

 

【癒されたアキレス】
アゲラタム自体はキク亜科のヒヨドリバナ連カッコウアザミ(アゲラタム)属になるようですが、属が違う種類にキク亜科のキク連ノコギリソウ(アキレア)属はアキレア・アゲラタムという名がついています。アキレア・アゲラタムはアキレス腱で有名なアキレウスが瀕死の状態のときに癒したようです。ただ治癒しきれずにそのまま死んでしまったわけですが、アゲラタムがこうして現代で現実において心を癒してくれたことが不思議です。
そのあたりのことも思うと、口蹄疫で傷ついた畜産農家の方がアゲラタムに惹かれたのは、単なる偶然なのか、アゲラタムが引き寄せたのか、、、色々と思う次第です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

人と人とのやりとり

皆既月食ご覧になられましたか? 天王星食ご覧になられましたか?

普段と違った目、心持ちで空を見上げ、非日常を味わえるひとときがあることは幸いなことです。そして、同じものを、いろんな場所の人々がワクワクしながら見ていた時間があることに、幸せの在り方を見つける何かを感じてなりません。
私は一時こうした広報部のお手伝いをしていたことがあるので、こうしたニュースを説明している専門家をみるとき、広報部のあの方はもう退いたのかな、一緒に星空を解説した彼の某プロジェクトはどうなったかなとも思います。

かつての友人や関わった人々のことを想うことは、人生の豊かさを感じることでもあります。

私は仕事をするとき、縁を大事にしたいと思っております。もちろんビジネスとして利益追求が第一義的になくてはいけませんし、口下手なので(と思ってしまうこと自体、意識してしまうので駄目なんでしょうが)もっと弊社のことを伝えられることがあったはずだとか、もっとお客様のことを理解するために話を聞きだすことができたはずだとか、、、東の木星を見ながら反省しています。

ひとつ取引先を失えば、そこまでずっと関わっていただいた様々な人々を裏切ってしまった気がします。
現在の取引の形というのは、最初と違って、色々な創意工夫や気遣いの積み重ねで出来上がっていきます。色々な思いが詰まっています。
会社が赤字になってまで失わないようにするかと言われれば違うでしょうし、多くの情報非対称性を解消できる交渉の術を持てなかった部分があることもあり己を憎むべきこともあるでしょうが、色々な思いを守れなかったことが悲しいです。
そう思うことも勝手なんでしょうが。。。
金額だけの問題であれば、私たちの無形の遺産が残るかもしれません。

これからも何ができるか、何を残せるか、私たちがどう生きていくか、問い続けなければなりません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

有限会社アイ・エス・オー 長友

農民芸術概論綱要(宮沢賢治)

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

(中略)

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と
諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり
練意了って表現し 定案成れば完成せらる
無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である
髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ
なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

GODISNOWHERE

God is nowhere.

 

マッチ擦る
つかのま
海に
霧ふかし
身捨つるほどの

祖国はありや

                       (寺山修司)

 

愛国心・家族愛とそこから至る平和への切望、、、それはあまりにも純粋で美しく、透き通れば透き通るほど言いようのない深い哀しみに襲われます。そして、これがスクリーンの向こう側ではなく、現実に、同じ地球上で起こっていることに対して、ただただ祈るしかできないのか、、、

 

おこたらず
祈る手向けの
言の葉は
おろかなるをも
神や受くらむ

                         (霊元天皇)

 

God is now here.

未来への一歩

今年は新しい設備が稼働します。

少しずつブログ上でも説明していきますが、原理もコスト面の採算性も簡単に納得いかないかもしれません。
少なくとも原理は高校化学の教科書に載っている内容を少し掘り下げれば直感的な理解はできることですし、変な言い方になりますが、弊社が騙されていなければ採算性もとれます。
他社が利用して実績も十分な設備を前提に採算性だけ考えて選べば、他の方法があるかもしれません。もっと言えば、身の丈にあった投資でないかもしれません。失敗してもデータが得られるから、そこをもとに自社で開発できる規模の会社でもありません。
と、妙な言い回しでの新年最初のブログの書き出しになりました。

 

少なくとも油水分離の原理から導かれる漏出リスクは抑え込めているので、当面は想定通りの処理スピードや消耗品の交換スピードでいけるものか怯える日々が続きそうです。
損切も頭の片隅に置きながら、立ち止まる勇気も大事にして、着実に歩みたいです。
もちろん科学への絶対的信頼には人間の認識限界がある以上、油断は禁物ですが。

 

 

善きことはカタツムリの速度で動く           

(ガンディー『真の独立への道(ヒンド・スワラージ)』)

 

 

塩の行進のように否定されるところからのスタートは同じですが、鉄道という科学文明との対極という点では、弊社のものはより科学的で全否定されるであろうものですが。
正直、今回の設備が使い物にならない(採算が合わない)となれば、「インテリぶった若僧が、親の七光りで社長になった馬鹿息子のくせに勘違いして、ほら言わんことない」と誰かに笑われるかもしれません。
被害妄想すぎますかね。。。

 

それでも、未来に向けた一歩になると思っています。
悲劇の主人公気取りのナルシストではなく、こんな零細企業でも水資源問題ないしカーボンニュートラルに対してアプローチできることを。
ただ、ニッチな側面が強く、同業者や部品製造等でエマルション性含油廃水の存在を分かっていただける方しか問題意識の共有はできないかもしれません。
これはいつかブログで書くかもしれません。プラスチックリサイクルが簡単に水平リサイクルできると思われているのと同じです。

 

子どもの頃の純粋にそれが世界のすべてのように好きであれたもの(まっすぐに向き合えたもの)、大人になるにつれて忘れてしまうもの(失わずに成長できないもの)はあるでしょうか?

 

 

 

自分を裏切るまでは生き永らえたかった
(中略)
こうしたわたしの情熱がすべて覆されてしまうのであれば、わたしはいったいどうなるのだろう? そして、今のわたしはなんなのだろう?
(中略)

彼女が変わると、変わる前のもうひとりの彼女はどこへ消えるのだろうか。
(中略)
大人としての彼女は、今の彼女を覚えているだろうか。大人の彼女は今の彼女を馬鹿だと思うのだろうか。
(中略)
ほかのだれも自分に忠実でないのなら、せめてわたしだけでもわたしに忠誠をつくさねば。
(中略)
わたしだけは死ぬまで自分の自転車に乗りつづけ、自分にふさわしいこの通りを歩きつづけてやろう。
(中略)
彼女が立てた誓いのなかで肝心だったのは、誓いそのものを憶えておくという誓いだった。

アニー・ディラード『石に話すことを教える』

 

 

星の王子様は以前原語で引用したので、、、

私は今回の設備投資を私を失わないための道標と胸に刻んでおります。

今年もよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

秋をつかみ損ねて

お昼には汗をかくことはあるものの、朝夕はすっかり冷えてきました。
昨日のように雨が降ると単に長袖では鳥肌が立ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ、狂い咲きが桜やサツキに見られ、栄養が失われて旬の時期に元気がない状態にならないか心配になります。

秋ですが蚊も未だ多く、現在では蚊も秋の方が過ごしやすいのでは? と思います。太宰の哀蚊ももう少し先ですかね。

とりわけあの晩の哀蚊の御寝物語は、不思議と私には忘れることができないのでございます。そう言えばあれは確かに秋でございました。
「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻かいぶしは焚たかぬもの。不憫ふびんの故にな」
ああ、一言一句そのまんま私は記憶して居ります。

太宰治「葉」

狂い咲きよりも哀花の方が私にはしっくり来ます。
哀蚊の時は、通常は蚊取り線香を焚くのに、秋は我慢せよとなるのに対して、哀花の時は、通常は枯れるまで愛でるのに、秋は摘み取ることになるので、表面的な行動としては真逆な対応になりますが。

狂い咲きは葉の中で作られるはずのアブシジン酸がきちんとできていないことが原因のひとつでもあるので、剪定のタイミングや害虫防除等を考えることも必要かもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

九月はあおい空

あっという間に9月が終わりそうです。
それ以上に今年が終わりそうで、終わらせたい作業が間に合うか、、、
常に前に進みたいと思っていますが、荷物も多くなっているように思います。

 

マリー・Aの思い出 (ベルトルト・ブレヒト、野村修訳)      

九月はあおい空、その月のあの日に
ひっそりと、若いスモモの木の根もとに
あの子を、蒼いひっそりとしたこいびとを
ぼくは抱いた、優しいゆめを抱くように。
ぼくらの上にはすみきった夏空に
ひとひらの雲、じいっとぼくは見つめた
白くて、気のとおくなるほど高い雲、
また眼をあげると、もう消えてしまってた。

東京は渋谷、シネマライズで鑑賞した「善き人のためのソナタ」にも登場した詩。
盗聴していた秘密警察が、盗聴先の作家から盗んだブレヒトの詩集を朗読することで物語も心も動く。主人公の心も見ていた私たちの心も、、、たぶん。
あの日は何か徹夜で仕事をやり遂げて、ご褒美に大好きなシネマライズに行って、ポスターを眺めて「善き人のためのソナタ」に惹かれて。。。
ものすごく眠かったけど、その分、向こうの世界に行けたような気がした。

 

シネマライズはもうなくなりました。
1階が大好きでしたが、2階のみになって少し足が遠のき、、、宮崎に帰り、、、
最後に見た映画は何だったでしょうか。。。
直感で選んだ舞台挨拶付の映画で自分の席以外は関係者ばかりじゃないかと驚いたときもありました。

ランドマークだったHMVがなくなった衝撃は宮崎から山形屋がなくなるのと同じじゃないかと思いましたが、シネセゾン、今年にはアップリンク渋谷がなくなりました。
恵比寿ガーデンシネマも休館中です。友人たちと外で見た映画は良き思い出です。
ニューシネマパラダイスを見ると思い出します。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友