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月別アーカイブ: 2020年12月

年末年始 営業のご案内

たぶんそれは正しいとか正しくないとかいう基準では推しはかることのできない問題だったのだろう。つまり世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。このような不条理性──と言っても構わないと思う─を回避するには、我々は実際には何ひとつとして選択してはないのだという立場をとる必要あるし、大体において僕はそんな風に考えて暮らしている。起こったことはもう起こったことだし、起こっていないことはまだ起こっていないことなのだ。

村上春樹『パン屋再襲撃』

 

年末年始の営業のご案内です。
ぎりぎりになって申し訳ないのですが、12月30日(水)~1月5日(火)は休ませていただきます。

今年も大変お世話になりました。来年もどうか是非宜しくお願い致します。

 

弊社は再資源化を目指しており、そのためにはお客様の分別作業や正確な情報提供が重要になっていきます。ヒューマンエラーはあります。それでも資源物として扱っていたものの、不純物が混ざっていたり、想定外のものであったりすれば、悪意なく汚染を生みます。つまり、他の資源物もすべて廃棄物化してしまうのです。だから、信頼関係が重要であり、私たちはお客様とのコミュニケーションを大事にしたいと考えています。

COVID-19という未曾有の世界的な大感染が起き、今なお、事態は深刻化しております。人間の慣れは順応化であり鈍感化であります。初期の恐怖心を持ったままでは精神が耐え切れない方がいるでしょう。だから、慣れは重要です。その一方で、いろいろな大義名分のもとに感染を広げる原因行動をしていきます。

何を得るのか、何を失うのか、いろんな物差しで、様々な天秤で測ります。合理的判断であるように行動するのか、直感的判断に従うのか。
生命の尊厳性をとるか、生命の質をとるか、、、となるほどの永久的1回性の意思決定問題ではないかもしれません。

何を選んでも、いくらかの喜びを得て、いくらかの犠牲を生みます。
未来は分かりません。
過去を正しく分析できるかも分かりません。

分からない、分からない、分からないの先に、「私が在るということ」が見つかることを願います。
進んで、進んで、進んだ先に、「私が在るということ」が見つかることを願います。

エヘイェ・アシェル・エへイェ (I am that I am)
(出エジプト記3章14節) 

今年も年を越せるであろうことに感謝し、来年を迎えられるであろうことに感謝します。

今年最後の投稿になるか分かりませんが、
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

弊社の魅力

弊社の魅力について語りたいと思います。

その1未経験者歓迎です。
そもそも完全な経験者はいないと思います。ご安心ください。
一生懸命かつ丁寧にやっていただける方には応えていきたいと思っております。

その2定時以降の残業作業ありません。
17時以降に仕事をすることは滅多にありません。30分くらいが年に2回くらい、、、あります。

その3ノルマないです。
担当取引先がありますが、無理がないようにしています。それは柔軟な対応ができるようにするためです。
必要性があれば、社長が自身の仕事を後回しにして手伝います。ただそのせいで、他のお客様にご迷惑をおかけしていることがありますので、妥協点を考え中です。社長が手伝った結果、なぜお客様のための時間を割いてやる必要があったのか疑問に思うことはありますからね。
また、物損程度のミスに関しては、真面目に働いている方には寛容でいようと思っています。企業様によっては、トラックをぶつけたり、明らかなミスによる損失を招いたりした場合、その損失を当事者の従業員に負担させるケースを聞きます。これは絶対弊社では行いません。しかし、弊社は基本的に社長が一緒に謝罪に行き、報告書や対策のための書類も作成します。日頃の態度にもよりますが、減給処分もしません。賞与に関しては、程度によりますが、ベースからの上積みが相殺方向に働く可能性はあります。

例えば、廃棄物関連会社と言われると、パッカー車でゴミ回収作業をしている様子が思い浮かぶでしょうか? 毎日担当地域を残さず回収するためには早朝から走り回る必要があるイメージもあるでしょうか?
弊社は幸か不幸か家庭ごみを扱っておりません。許可上、取り扱えないというのが正確なところでしょうか。
基本的には取引先工場の担当部署の出勤時間に合わせることになり、必然的に8時から17時になるわけです。通常、17時ぎりぎりに廃棄物回収の立ち合いをすると、事務処理の時間をする暇がなくなりますから、お客様も就業時間間近に回収依頼することはないです。

また製品納期というものがありません。リサイクル原料がお客様の廃棄品(成形不良品、ランナー、試作等)に依存する特性上、特定の種類の樹脂の特定量を納期日までに確保することが難しいです。
原料を買ってきて、製造する仕事であれば、弊社でコントロールできます。この「原料を買ってきて」の部分の数量が弊社で決められないので、難しいです。
従いまして、納期日までにこのリサイクル原料を10t何としても用意するぞ、ということは起こりえないのです。

こう書いていくと、弊社の魅力ないし特徴がお分かりいただけたでしょうか?

長期で上昇志向を持ちながら、弊社で働きたいと思った方にはリスクを感じる点があるかもしれません。どう会社を成長させるか、少しずつ準備中です。

最後に 弊社の仕事は楽な仕事ではありません。
柔軟に対応できる時間がある、という事は、柔軟に対応すべきことがあるということにもなります。柔軟に対応できる時間を休憩に使ったり、不必要に他の従業員の手伝いに行ったり、そういうことをしたい方はご遠慮ください。
お客様から信頼を得るための貴重な時間だと理解し、考えて行動できる方を求めています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

 

捨てられちまったモノに、夢は見られるのか

ゴミは夢、ゴミには夢が詰まっている

NHKさんのプロフェッショナル仕事の流儀「自分を拾う、夢を運ぶ〜ゴミ収集員・岳裕介〜」が先週放送されました。明日8日も再放送とのことです。

私は「やっと来たな」と思って見ました。見る暇がなくて、日曜の昨日に録画データをやっと見れました。

以前も書きましたが、コロナで二次感染が心配される業種のひとつが廃棄物回収業、処理業です。そして、その中でも、家庭ごみを扱う一般廃棄物業者は非常に恐怖の中で仕事をされていると思います。
弊社は法人の産業廃棄物、工業用品になるので、感染性リスクは家庭ごみよりは低いと思います。

弊社をアピールしようと思うとき、一口にゴミと言っても工業用品のようなものだから、腐敗臭とか汚物が付着するようなものは扱わないと言いたくなることがあります。そのたびに、自己嫌悪と言いますか、やはりどこかで廃棄物業者と思われたくない自分に気づくことがあります。
インテリめいたブログを書くのもそのひとつの表れかもしれません。ゴミの処分に関しては、もっとやりようがあると思うことは多々ありますので、アウトプットすることで何か見えてこないかなと思っているのも事実であります。
岳さんのエピソードで小学生に臭いと収集車を傘で小突かれたり、大学生にも悪態を突かれたりしたというものがありました。
私も何度か傷ついた機会はあります。心が折れないように自分に言い聞かせることもあります。

岳さんも言われていたんですが、ゴミを扱う業者がただ捨てるだけのゴミとしてしか見ては、何も生まれてこないと思います。ゴミは夢なんです。

リユースとして、ゴミをゴミとしてでなく、ものの見方を変えることで、再生しようという動きもあります。淀川テクニックやモノ:ファクトリーで調べると色んな情報が出てくるかと思います。
レディ・メイド(既製品)を使って芸術的見方をする。芸術家とは新しい見方を提供するものだと言ったデュシャンの作品は小便器をさかさまにしただけに見える『泉』を筆頭に、芸術自体の存在に問いかける高度さがありますが。。。

「モノ・情報が溢れる現代」という言葉に古さすら感じるようになった現代、本当のオリジナルとは?という呪いが発生してしまうほど色んなことが消費され、何度目かのリバイバルがやってくるスパンも短くなってきて、、、と思ってしまう現代だからこそ、捨てられちまったものに魂が宿るんじゃないかって夢をみることがあります。

あと、岳さんがすごいと思ったのは、家庭ごみの集積所は散らかっているのを片付けてもそれが感謝されて、自治体からこれからも仕事を頼むって言われる機会は少ないんじゃないかって思うんです。事業系廃棄物の業者割り振りの内情には疎いのですが、おそらく金額等で見えない部分を評価されるのは難しいかと思うんです。それでも仕事の時間外にそうした行為をすることに見習わなければと思った次第です。
勿論、時間外の作業に関しては他人に強いることはありません!

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

トップ画像の説明2

原稿ストックがなくなりそうですが、トップ画像の説明は終えておきたいので、本投稿ではアコウについて説明します。

正直、宮崎の植物を選択するのに、ましてや会社のトップ画面にアコウを持ってくる企業は他にないのではないでしょうか? 宮崎の樹木ならフェニックスがでしょうね。フェニックスも不死鳥ですから、再生のイメージが簡単に連想できますし。

キャッチコピーの作り方に違和感を持たせるのが大事といいますが、私としてはその違和感をアコウに託しました。ただ、未だ誰もアコウについて尋ねる方がいないので、このアコウについて取り上げたいと思います。

 

アコウはアコウクワ科イチジク属で、漢字で書くと赤榕です。榕の意味はそのままガジュマル・アコウのクワ科イチジク属を表しているようです。亜熱帯植物です。特徴は気根を枝から伸ばして張り巡らすことで、土台となる岩や木を覆いつくします。ヤドリギは寄生木と書くように宿主の中に食い込んで栄養を吸いますが、アコウ・ガジュマルは覆いかぶさるだけです。覆いかぶさって元々あった木は枯れていくので、絞め殺しの木とも言います。共生ではないんです。。。だからヤドリギみたいに幸福をよぶ木と呼ばれたり、クリスマスにヤドリギのの下でキスなんてロマンチックなエピソードは出てきたりしません。

 

宮崎の宮交ボタニックガーデン青島には2本のアコウが互いの気根を絡ませている姿から夫婦アコウとよばれるアコウがあります。更に平成19年に絆の木と命名されたそうです。

宮崎県野島神社の内海のアコウは国の天然記念物に指定されています。天然記念物に指定されているアコウは現在6カ所です。そのうち3カ所が神社の境内にあります。

神社といえば注連縄で、絞め殺しの木という呼称と相まって、蛇を連想しました。注連縄が交尾だとすれば生命感がありますが、アコウは。。。

野島神社は「浦島太郎をまつる」と書かれ、御祭神は塩筒大神(塩、造船、生花、料理の神)、猿田彦神(商売繁盛、安産、長寿祈願、五穀豊穣、交通安全の神)、住吉三前大神:上筒大神、中筒大神、底筒大神(漁業の守護神、縁結び、子授けの神)です。また塩筒大神は塩土老翁神、塩椎神ともあり、ツチ(ヅチ)が出てきますが、深入りしません。

和歌山県美浜町には竜王神社のアコウがあるようです。学生時代に行けば良かった。。。和歌山県は中上健次氏の紀州熊野サーガの舞台ですから、血脈のように映るかもしれません。

クスノキからトトロなら、アコウからはどんな姿が描かれるでしょうか。奄美大島ではケンムン(妖怪)が潜んでいると言われたようですが。

潜伏といえば、潜伏キリシタンが長崎の黒島でアコウによる防風林を築いたことから黒島の集落として世界遺産に登録されています。

 

再建中の首里城、その首里城正門歓会門前には、戦時中に焼けたアカギにアコウが覆っています。木曵門の前にもアコウが生えているそうです。

 

言葉遊びとも連想ゲームとも言われるかもしれませんが、結局、アコウが好きだからトップ画面に持ってきたのかもしれません。いや、言いたいことは、生命力(再生)です。

さて、次は弊社の働き方の魅力について書こうと思います。
性善説の立場というわけではないのですが、基本的にはきちんと信頼できる仕事を社員が果たせる環境を目指したいと思っております。弊社の仕事が好きになることが何よりも大事だと思います。その環境づくりですね。

あと、昔やっていた不確実性下の政策について思い出しながら、書いてみようかなとも。未曽有の状況下、確率分布が定まらない中、政府はどういうタイミングで政策を行うべきか。また、政府の情報発信によって、国民が政策実施前に織込み済みの行動をすることで、、、あまり時間はかけられませんね。いつも自己満足ですが、たまには数学的記述をやりたいとも思うわけです。前者ならリーディングペーパーそのままに書くだけになりそうですが。

ほぼ徹夜続きなので、眠気覚ましにいくつか論文を漁ってテンションを上げたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

トップ画像の説明1

弊社のトップページには、内海のアコウ、樹脂ペレット、関之尾の滝がスライド表示されます。

 

意図としては、宮崎の植物と美しい景観を乗せることで、宮崎の自然環境を守ることへのメッセージをこめている、これがストレートな見方になります。

もう一方の見方としましては、すべての写真に再生への願いを込めている、というのがあります。

アコウにしても滝にしてもキーワードは蛇です。私はアコウに蛇の姿を重ねました。滝と蛇を結びつけるのは古くから文献があります。蛇は脱皮をすることから再生と結びつける考えがあります。

 

蛇というのは目、鱗、手足のない姿、とぐろ、脱皮、一部の種に存在する毒などから、古来、忌避され、神にも悪にもされてきました。これで雌雄同体なら更に神話化されたでしょう。雌雄同体といえばナメクジですが、、、この世になかなか完璧なものはありませんね。

水辺に近いところに生息していることが多いので水にまつわる神話にもよく登場します。蛇口がまさにですね。他にも、とぐろの姿が山の神にもなるし、更に農耕の神にもなっています。

蛇から龍(ドラゴン)に結びつくのも面白いのですが、日本や中国の龍には翼はないけれど、西洋ドラゴンには翼があるのは文化がよく表れている気がします。アステカのケツァルコアトルは羽毛のある蛇ですね。

また、虹がなぜ虫偏かという説明に蛇は龍となる際に空に描かれる弧からというのがあります。

他にも、ギリシア神話の名医アスクレピオスの杖には蛇が巻き付いています。従って医療のシンボルマークにもなっています。薬学になると杯になり、ヒュギエイアの杯と呼ばれます。

これが2匹の蛇が巻き付いた杖になると、ヘルメースのケーリュケイオン(カドゥケウス)になり、商業や交通のシンボルになります。一橋大学の校章にもなっていますね。

2匹の蛇だけが互いに巻き付くと、これは交尾の姿で、しめ縄です。尾を噛んで円を描けばウロボロスです。

と、象徴化の例は枚挙に遑がないです。

 

物語としては、スサノオノミコトによるヤマタノオロチ退治エピソードがすぐに思い浮かびやすいですかね。構図がペルセウスによるメデューサ退治に似ています。比較神話学ではアンドロメダ型神話といいます。ストーリー型で類型する場合ですね。もっと抽象化すれば、数学の群論を用いて、演算子で写像して関係性のみを抽出してやることで一つの類型により多くの神話を取り込んでいけますが、省略します。

ヤマタノオロチ退治で面白いのは、スサノオに退治を頼んだ老夫婦の名前はアシナヅチとテナヅチで、それぞれ「手のない蛇」「足のない蛇」という意味で、これは蛇同士の戦い(新国家と旧国家の戦い)とする説をあげる方もいます。この新旧については他にも色々と古事記・日本書紀内で切り込め(以下略)
聖書だって青銅の蛇によって、炎の蛇による苦難を乗り越えた逸話があります。

そんなこんなで、蛇が透けて見えることで、様々な意味をこめることができることもあり、トップ画像には蛇を連想できたアコウと滝を持ってきました。

 

アコウについては次の投稿で説明します。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友