オフィシャルブログ

カテゴリー別アーカイブ: 廃棄物

金属その他機械取扱い実績

けっこうゴミで処分されていることが多いのが、機械類です。
所謂「何でも廃棄ボックス」に金属類が差し込んであったり、機械が投げ込まれていたり、するのを見かけることがあります。
勿論、廃家電は対象外ですが、弊社からの回収距離、プラと鉄の比率、銅や真鍮が使われているかなどの条件によって、処分費用が発生しないことがあります。

写真や機械名(メーカー、型番)などによって、直接見なくても判断できることもあります。倉庫の片付けをする際には、ぜひ声をかけていただければと思います。

以下、実績(例)となります。

・一斗缶等の空き缶
※シンナー、塗料の残液は有価物は難しいですが、作動油・潤滑油は無料回収できます。雨水が入っていると廃棄物になります。

・鉄、アルミ、ステンレス等の金属端材

・パソコンの本体、ノートパソコン
※弊社でデータ消去はできません。
(ディスプレイモニターは廃棄物になります)

・モーターのついた機械、外装が金属のもの
(外装がプラスチックだとプリンターなどは廃棄物ですが、ポンプやモーターがついているような機械は大丈夫です)

・被覆線、コード類
(マウス等だとプラ部分を切り落としてもらえれば受け取れます。USBコードはそのままで大丈夫です)

“・樹脂成型機修理時に取替して廃棄するようなものは金属部分がほとんどなので、弊社の御取引先で樹脂と一緒に持ち帰らせていいただくことも実績としてあります。
例:ホッパーローダー(樹脂原料ペレット吸引配送ローダー)、治具

 

廃プラは技術者が真っ当に向き合った記録

良い言葉が見つかりません。

 

お客様とお話させていただく際、単なるお金の話だけでなく、製品の話を聞かせていただくことがあります。
私に話しても仕方ないと思われているかもしれませんが、、、私はこちらの方が楽しい時間です。

 

お話から製品へのこだわりや思いを感じます。私の引き出しが少ないのが申し訳ありませんが、、、それでもお話していただけます。感謝です。

 

 

「簡単に見えるかもしれないけど、これは技術の塊やからね」

 

そう言われて、分かっていたつもりでしたが、ものづくりのプロとしての矜持があるからこそ廃棄される製品があるのだと実感しました。

 

技術を磨くために作ったものも廃プラにはあります。

良いものを作るために出てくる副産物であると。廃プラの方がいろんな挑戦の跡があるんじゃないかとも。

 

 

それは、ごみじゃない。

 

まだまだ私たちにも向き合うべきごとがある、そう思わされます。

分離膜装置導入1年

とうとう4月です。積みあがる書類、分析対象のせいか、多くの企業様が新年度を迎える実感がわきません。
強いて言えば、決算棚卸前の緊急処分依頼に、走り回っていたのが小休止になるかなといったところです。

 

新しい、と言えば、弊社が導入した分離膜装置が1年たちました。
能力や課題について学習データがそれなりに揃いました。
機械とも一部の排水については、一方的ですが、理解と愛が深まったと思っています。
少しずつご紹介させていただき、少しずつ分離膜を使った処理に興味をもっていただいてもらって、弊社に排水処理のご相談をもちかけていただければと思っております。

弊社に分離膜装置導入を手掛けていただいた企業様は排水処理といえばすぐに名前が挙がる企業様ですが、それでも分離膜装置を排水処理で導入したのが初めてでした。
純水製造装置に使うような分離膜を排水処理装置に持ってくるのですから、、、

 

【処理目的】
導入のメインとなる処理ターゲットはエマルション性含油廃水です。もっとかみ砕いて言えば、油分を含んでおり、そのままでは放出できないけど、ほとんど水だから引火性もないような液体です。

これを濃縮していこうという第1のモチベーションです。
更に、きれいな水を取り出そうという第2のモチベーションです。

この2つのモチベーションに合わせて、1次処理、2次処理と二段階濃縮をとります。

 

【1次処理:UF膜】
1次処理は限外濾過(UF)膜によって、大きな分子と小さな分子を選択的に分離します。圧力を加えて、イオン等の小さい分子を膜から外に出します(大きい分子を膜内に残します)。
医療では血液透析に同じような手法が用いられております。

あくまでも膜です。フィルターのように目は見えません。穴ではなく孔と言い、孔径は1~10nmくらいです。1mの1億~10億分の1です。1mmの10万~100万分の1です。

大きいと言っても、光学顕微鏡でも見えないタンパク質やウイルスサイズすら通りません。

UF膜を透過した液(UF処理水)を目視すると、何も言われなければ水道水に見えます(高濃縮負荷がかかってくると、うっすら白みがかかったり、黄色味を帯びたりします)。

一般に油と認識できるものは確実に透過できないので、油を濃縮することができます。
※厳密には高カロリー燃料のために高濃縮するとマヨネーズ状になり、膜が詰まってしまいますので、低カロリー燃料になります。

 

【2次処理:RO膜】
2次処理では逆浸透(RO)膜によって、真水のみを膜から外に出します(イオン等のミネラル分といった小さな分子すらも膜内に残します)。
医療だと腹膜透析が浸透圧を利用しておりますが、腹膜透析は正浸透圧現象です。
弊社の処理装置では、逆浸透圧現象を起こさせます。
浸透圧によって溶媒(水)の移動が薄い方から濃い方に膜間を移動することから、逆ベクトルに圧力をかけてあげることで、いわば錯覚させて溶媒の移動が濃い方から薄い方に移動させます(逆浸透)。この薄い方が真水であれば、処理対象の排水から真水のみが移動していくというわけです。

一般にRO膜は純水製造機であったり、海水から飲料水を(脱塩)作ったりするのに使われます。

モジュールと運用方法で廃油のUF処理水でも目詰まりをコントロール運用できるように頑張っています。

 

彼女が無礙であればあるほど、私の刃はますます深く彼女の死へわけ入った。そのとき刃は新らしい意味をもった。内部へ入らずに、内部へ出たのだ。

(三島由紀夫)

 

そうですね、透析みたいなことを汚れた排水でできるのか?と思われることと思います。
しかも、自分が仕入れて、使って、排水したものではなく、目の届かない様々な他者によって手を加えられて排出されたものであるから、安全に、そして、安定的に処理ができるのか?とも。

科学の力を信じろ! とは言いません。
難しい理論を振り回す、、、のはさておいて、原理上、そして、センサーによって、少なくとも安全性は担保できております。

原理上というのは、単純明快(乱暴)に言えば、水ほど小さな分子はないのだから、水しか通れないような穴(孔)を何が通れるのかとも言えます。つまり、物理的に自分の身体より小さな穴は通れないのと同じです。

 

【処理安全性】
安全性管理のために、万が一、膜が破れたり、穴が広がった(押し通った)としても、電気伝導率で監視して防ぐようにしています。
電気伝導率というのは逆に言えば電気抵抗をみています。不純物(イオン)は電気を通すので、その通りやすさ(電気抵抗の度合い)を監視して、不純物が外に出ていかないように制御しています。基準値を満たさないと出ていきません。
あとは、pH、COD、ノルマルヘキサン値は排水基準値があります。精密に測ること、適度な指標でも頻繁に測ること、事前にセンサーでブロックすることのバランスは大事だと思っています、、、と話がそれていってますね。

そう言えば、廃油とお友達になりたくて、使用油や洗浄剤のSDSみたいな紹介文をいただくこともあるんですが、成分(分子式)が一部非公開であることもあって、名前と顔が一致しないみたいな、もどかしい時があります。
分子が直鎖かどうかでも膜の透過具合が変わってくるので、膜分離を考える上で、処理対象物の成分と分子式は濃縮・分離のイメージ(処理予測)をするのに、頭を巡らせることになります。

分子式ってすごい情報を持っていることを、次は樹脂(プラスチック)識別について書きたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

プラスチックの油化

ご無沙汰しております。
気が付けば、刻々と時は流れ、ブログ更新が途絶えておりました。

時間のマネジメントの難しさを感じる毎日で、ブログ更新の優先順位度は低いので、後回しになっておりました。
そうは言っても、触れておきたいプラスチックの油化の話です。
昨年2020年12月15日「低温でのポリオレフィン系プラスチックからの有用化学品合成に有効な固体触媒系の開発に成功 ~プラスチックの新たな変換法を確立!~」と大阪市立大学と東北大学の共同研究(大阪市立大学 人工光合成研究センターの田村正純准教授と東北大学大学院工学研究科応用化学専攻の冨重圭一教授ら)として発表がありました。2020 年 12 月 10 日(木)に『Applied Catalysis B: Environmental (IF=16.68)』にオンライン掲載されたことによります。
こうしたニュースは鮮度も大事なので、昨年中に触れておきたかったのですが、半年経ってしまいました。

小泉環境相も言われた通りプラスチックは原油から作られているので、プラスチックは高カロリーで廃材を固形燃料(RPF)の原料として利用できます。
更には元の油に戻すことも可能です。

ちょっと調べれば、プラスチックを油化する実験が出てきます。弊社もストーブの上で実験したことがあります。
単純な仕組みで考えると、油化するための必要エネルギーから得られる油は少ないです。
とは言え、理論から実務ベースに持っていくエンジニアリング技術は素晴らしく、油化装置は実用化されています。
(この技術の詳細は不勉強ですので、採算性は明示できません)

弊社も一度机の上で検討したことはあり、それが実験した理由にもなりますが、お声掛けしようと思っていた企業様が倒産してしまって上手くいくのだろうか、、、と恐怖心が植えつけられました。

話は戻して、今回の研究発表のポイントは触媒を使うことで200℃で油化できること、ポリオレフィン系プラスチックであることではないでしょうか。

200℃であれば油化するための必要エネルギーは少なくてすみます。
また、ポリオレフィン系というのはプラスチックの中でも炭素と水素からなる分子でシンプルな構造をしたものです。ペットボトルの素材のPETはそこにテレフタル酸と重縮合したものですから違います。つまり、プラスチックなら何でもいいわけではありません。

そうは言っても低エネルギーで油化できることは大きな一歩だと思います。
ポリオレフィン系といえど、添加剤の多いもの、ガラス強化品(ガラス繊維を混ぜたもの)などがありますので、その辺りは特に工業系の部品を扱う場合はテストが必要だと思いますが。
ただプレコンシュマー材は素直にプラスチック原料にするのが良いと今のところは思っています。
そうなると、もうプラスチック原料にするには劣化しすぎている(既に何度かリサイクル原料化されている)場合のポリオレフィン系と限定され、導入は難しいなと思ってしまいます。

私は臆病です。色んな要素を気にしていては前に進めないから、取りあえずやってみることの重要性は経験上もわかります。ただ従業員がいて、、、家族がいて、、、取り返しのつかない自然環境破壊がないように考えて考えてやっていきたいです。
小さな会社といえど、、、です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

 

プラスチックのリサイクルのあれこれ

本当にあれこれです。
元の製品原料と同じ品質水準でリサイクルすること(再生原料品をつくること)は難易度が高すぎる諸問題をとりあげます。

まず、本稿における用語説明です。正確な定義ではありませんが、本稿を読むのには充分だと思います。
プレコンシュマー材:市場に未出荷の工場端材
ポストコンシュマー材:市場に出荷された使用済み品
マテリアルリサイクル:本稿では再生原料化
水平リサイクル:元の製品にリサイクル Ex.)ペットボトルtoペットボトル
カスケードリサイクル:元の製品より低品質品にリサイクル Ex.)ペットボトルtoポリエステル繊維

 

弊社は、プラスチックのプレコンシュマー材をリサイクル価値のある有価物として、集積出荷しております。
有価物として扱えるためには、コストを考えると、異物混入がなくマテリアルリサイクルできる状態でなければなりませんし、数量が必要になります。

最近、使用済みペットボトル水平リサイクルがアピールされていますが、それが凄いことだと感じる方は多くはないと思います。
リサイクルするなら綺麗にして元々の製品素材(原料)になるのが余計な負担はかからないというのが自然に感じるからです。

しかし実際は、溶かして固めれば再原料になるのではないんです。
プレコンシュマー材ですら成形時に熱処理はするし、紫外線にさらされるので、元々の原料状態からは品質が劣化することは避けられません。
それがポストコンシュマー材であればいくら洗ったとはいえ、品質は元より劣化しています。水平リサイクルはできないので、カスケードリサイクルされます。
また、プレコンシュマー材も、僅かとはいえ品質が落ちている上、水平リサイクル先が見つかったとしても、安定的に必要な数量を同じ品質で提供することが可能である必要性が出てきます。
そこで問題になるのが、プレコンシュマー材は工場側からしたら生み出したくないものであることです。ポストコンシュマー材にならないと計画的売上につながりません。
さらに同じ種類のプラスチックだとしても、実際は細かい用途やメーカーの要望に合わせてカスタマイズされており、同じ品質ではありません。極端に言えば、水平リサイクルには全くの同一製品毎に再原料化して同じ品質製品での買い手をみつけることが求められます。カスケードリサイクルであれば、求められている品質以上になればいいので、同程度のカスタマイズ品を混ぜ合わせることができます。

カスタマイズとは。。。
同じプラスチックの種類PETとはいえ、用途に合わせて細かくカスタマイズされております。カスタマイズのひとつが添加剤です。
この添加剤がマイクロプラスチックとなったときに生物の体内に入り、悪影響を及ぼすことも危惧されております。
但し、品質の劣化を埋める役割を担うのも添加剤です。

例えば、プラスチックは黄変を起こしますが、これは光(紫外線)が原因のこともあるし、暗所でも加工時の熱酸化が原因で起こることもあり得るし、顔料中の金属イオンがキレートを形成することでも起こりえます。
こうした原因をブロックするために添加剤を使うこともあります。

今回はここまでで止めておきます。
次回は昨年末に発表のあった国内研究を含めて、油化技術にも触れてみたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

捨てられちまったモノに、夢は見られるのか

ゴミは夢、ゴミには夢が詰まっている

NHKさんのプロフェッショナル仕事の流儀「自分を拾う、夢を運ぶ〜ゴミ収集員・岳裕介〜」が先週放送されました。明日8日も再放送とのことです。

私は「やっと来たな」と思って見ました。見る暇がなくて、日曜の昨日に録画データをやっと見れました。

以前も書きましたが、コロナで二次感染が心配される業種のひとつが廃棄物回収業、処理業です。そして、その中でも、家庭ごみを扱う一般廃棄物業者は非常に恐怖の中で仕事をされていると思います。
弊社は法人の産業廃棄物、工業用品になるので、感染性リスクは家庭ごみよりは低いと思います。

弊社をアピールしようと思うとき、一口にゴミと言っても工業用品のようなものだから、腐敗臭とか汚物が付着するようなものは扱わないと言いたくなることがあります。そのたびに、自己嫌悪と言いますか、やはりどこかで廃棄物業者と思われたくない自分に気づくことがあります。
インテリめいたブログを書くのもそのひとつの表れかもしれません。ゴミの処分に関しては、もっとやりようがあると思うことは多々ありますので、アウトプットすることで何か見えてこないかなと思っているのも事実であります。
岳さんのエピソードで小学生に臭いと収集車を傘で小突かれたり、大学生にも悪態を突かれたりしたというものがありました。
私も何度か傷ついた機会はあります。心が折れないように自分に言い聞かせることもあります。

岳さんも言われていたんですが、ゴミを扱う業者がただ捨てるだけのゴミとしてしか見ては、何も生まれてこないと思います。ゴミは夢なんです。

リユースとして、ゴミをゴミとしてでなく、ものの見方を変えることで、再生しようという動きもあります。淀川テクニックやモノ:ファクトリーで調べると色んな情報が出てくるかと思います。
レディ・メイド(既製品)を使って芸術的見方をする。芸術家とは新しい見方を提供するものだと言ったデュシャンの作品は小便器をさかさまにしただけに見える『泉』を筆頭に、芸術自体の存在に問いかける高度さがありますが。。。

「モノ・情報が溢れる現代」という言葉に古さすら感じるようになった現代、本当のオリジナルとは?という呪いが発生してしまうほど色んなことが消費され、何度目かのリバイバルがやってくるスパンも短くなってきて、、、と思ってしまう現代だからこそ、捨てられちまったものに魂が宿るんじゃないかって夢をみることがあります。

あと、岳さんがすごいと思ったのは、家庭ごみの集積所は散らかっているのを片付けてもそれが感謝されて、自治体からこれからも仕事を頼むって言われる機会は少ないんじゃないかって思うんです。事業系廃棄物の業者割り振りの内情には疎いのですが、おそらく金額等で見えない部分を評価されるのは難しいかと思うんです。それでも仕事の時間外にそうした行為をすることに見習わなければと思った次第です。
勿論、時間外の作業に関しては他人に強いることはありません!

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

地球は泣いていない

廃棄物処理業業者が地球は泣いていないなんて言ってしまうと不法投棄でもしてんのかと思われそうです。
廃棄物処理業者って汚いきつい危険の3Kのイメージがあるので、エコや地球環境問題の是正に関わっているクリーンなイメージを打ち出します。

ただ地球環境問題を取り上げる時に、地球が泣いているかのような描写をすることがあります。それは比喩であり、分かりやすい訴え方であるのは重々承知です。でも、例えば地球型惑星で言えば、(地球上の)生物が住める環境ではないからと火星が泣いているとは言わないでしょう。共有地(コモンズ)の悲劇を想定することで、皆が狭い視野で自分本位に行動すると資源を食い尽くすから、警笛を鳴らし続けないといけないのは肯定しますが、無資源になったからと地球自体は地球としての存在を失うわけではありませんし。。。
最終的に人類が未来永劫住み続ける地球号であるのにマイナス要因になることを地球環境問題と言っています。地球規模の人類環境問題ですね。泣いているのは未来の人類です。人類が第一にあって他の生物です。過去絶滅した生物種を一種一種目に涙を浮かべながらあげるような方は稀でしょう。

ケガレとケについては踏み込む自信はありませんが、ハレ側の非日常がエリート業で、ケガレ側の非日常が3Kなのかなと思うことはあります。エリート生活こそタフさ(バイタリティ)の必要な生活ですが。
その視点では純文学小説家がケガレ側に接近を試みるのに、日雇い業で生計をたてるのもケガレ(非日常)を意図しているのでしょう。名小説が執筆できて世間的評価があがれば文字通りの小説「家」になりますが、ケガレがハレに転換するだけで非日常は変わっておりません。

一見地味に見えることも、奥はどこまでも広がっていきます。
廃棄物業にインテリ評論家的アプローチだけでなく、可能性を広げたいと思っています。地球の涙をぬぐっているように見えるような非日常さをだせるような。。。
いくつか水面下で動かしています。お金と時間が必要ですが。。。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

力になれず。。。

久しく更新が滞っておりました。

この時期は、産廃関連の報告書があったり、決算資料をまとめたり(経営状況の分析をしたり)といったデスクワークサイドの業務が重なるうえ、どうしても契約の更新(改定)をしないとどんなに長いお付き合いでも弊社が赤字にしかならないといったこともあって、、、非常に申し訳ないです。

また、草木が伸びる時期です。時候の挨拶でも桜花の候、若葉の候、深緑の候と月を重ねるごとに、緑が深まっていきます。今日もサツキを挿し木していたのを本植えしたり、移植してちょっとした花壇を作ったり、自家製腐葉土をブレンドしたり、取引先の駐車場スペースの草を刈ったりと、ひとり雨に降られながらやっておりました。

そして、年度が変わり、GWがあって、古くなったプラスチック原料が排出されます。それをグレードをチェックして、分類していかねばなりません。

また、プライベート面でもなかなか落ち着けません。積極的に何かができるわけではないのですが、制度利用や色んなリスクの知識を蓄えて、何かあった時の準備を整えていくといったことをしております。私が県外に出張するのはまだ難しそうです。

ブログを更新しない間にも、何件か弊社に廃棄物のお問合せをいただいております。しかし、何も力になれないこともありまして、非常に申し訳なく思っております。

プラスチック(樹脂)に関しましては、非常にハイリスクになっておりまして、ぎりぎり有価物として引き取れる水準の金額で売先があったのに、引き取った日に有価物で扱えない水準でしか売先がなくなることもあります。基本的に現在はどの樹脂も単価は下落方向にドリフト項が働いておりますので、上振れする可能性は低いです。そうした中で、今後のお付き合いも考えて、無理に頑張って買い取っても、下手をすれば産業廃棄物に化けてしまいます。従って、収集運搬費をとることで、到着時有価物にすることも提案させていただいております。

製造工場の稼働状況が下がると、当然リサイクル原料の需要も下がります。従いまして、プラスチックだけではなく、金属物等も単価の辛い状況になっております。

マンキューのメニューコスト理論があるように、相場が下がったからとすぐに交渉に行っていたら、何度も足を運ばなければなりません。更に、COVID-19感染リスクも上昇します。そういうわけで、既存のお客様には極力価格変動をせずに、弊社が頑張れるところは頑張っております。そうなると、既存のお客様からのご紹介を受けた企業様からご連絡をいただくこともあります。ただ同じ価格水準でのサービスをご提供すると、弊社も倒産リスクが上がってきますので、現在はご期待に沿えぬお返事をせざるを得ないです。

弊社の売却先のお客様にしても、頑張って値段をあまり下げずに引き受けてくれているのではないかと思う節もあります。それに甘えて、無理にプラスチックをお願いするのも申し訳ないので、一部のプラスチックは引受停止も考えているところです。
頑張って高い値段をつけていただけるのは、日本に来られている中国の方もいらっしゃいます。COVID-19で不必要に中国の方のすべてを否定する方も見受けられますが、誠実な方も多いです。

話が長く、そして逸れていきましたので、久しぶりの投稿はこれにて終了です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

ENVIRONMENT CONSERVATION & sustainable development

エコ(eco)とは何でしょうか?
一般には「環境に優しい」といった意味で使われていると思います。

 

ecoを英語辞典で引くと、ecoは接頭辞であり、語源としてはギリシャ語の「住居」を意味していることが分かります。つまり、われわれがカタカナ語として使うエコはいわゆる和製英語です。

 

ecoを接頭辞にした単語にはecology(生態学)やeconomy(経済)などがあります。
このエコロジーから現代のエコという言葉が生まれたことが想像できます。生態系維持といったニュアンスでしょうか。エコノミーを意識してか、エコロジーには反企業(反体制)といった意味合いがあったようですが、「持続可能な開発」やCSRといった動きが出てきたことで政府や企業活動の中に取り込まれています。これに対する批判的言葉としてはグリーンウォッチングがあるでしょうか。
本当に環境保全に対して動いているのか、持続可能な開発をできているのか、ただのポーズに過ぎないのか、簡単な議論にはならないでしょう。

 

結局、人間活動を送る上で基盤となる地球環境は安定して欲しいし、欲求を満たす経済環境は機能して欲しいわけです。求め続けた欲望の先で自らを食らうことになったとしても、それは生物としての業だと達観的に捉えることも可能ですが、相反する環境を求め続けることも人間らしいのではないでしょうか。
落語は人間の業の肯定である、と立川談志師匠も言いました。

 

「地球に優しい」らしい行為をすること自体に満足するのではなく、2つのエコについて問い続ける姿勢を失ってはいけない、それがエコに対する姿勢(attitude)だと私は思っています。

 

P.S.綺麗ごとだけでなく、もう少し尖ったことも書かねば、発言する(ブログを書く)意味がないのではないか、という葛藤もありますが、尖り続ける自信がないので、凄く遠回しに意味していることが何となく受容器に触れる方がいるかもなぁ、ぐらいに留めておきます。
I’d just be the catcher in the rye. That’s all I’d do all day. That’s the only thing I’d really like to be.
もう少し弊社の仕事内容が伝わる記事も書かねば、とも思っております。
All right. Come on.

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

有限会社アイ・エス・オー 長友

美しい産業廃棄物業 その序説

片付いていて綺麗だという話ではなく、美しさについて話したいと思います。

日本人の美意識を語る時、川端康成『美しい日本の私 その序説』谷崎潤一郎『陰翳礼讃』が挙げられるでしょうか。
電気のない薄暗い室内と屏風の金色についての説明を読んだときは芸術作品の鑑賞動線や配置についてもっと注意を払わなくてはならない、すべてが芸術装置だと意識付けされました(蝋燭の灯りを想像するとファラデーの『ロウソクの科学』にも飛び火しそうですが)。美術館はそうしたものの最たるもので、美術館自体の建築家から知らなければとも思い、建築物にも関心を抱くようになりました。『金閣寺』ほど狂気さはありませんが、白井晟一作品が好きで長崎県にいったときは建物を見に行きました。
“狂気の”という形容詞を英語にしたとき”ルナティック(lunatic)”と訳すことができます。ルナはローマ神話の月の女神でラテン語の月に由来します。月の魅惑さに取り憑かれたんではないかと思える建築物に桂離宮の月波楼があります。月を鑑賞するために作られた構造をしている建物です。「月点波心一顆珠(月は波心に点じて 一顆の珠)」、池に映る月をも愛でることができるようで、風流さがあります。ムーンリバーという曲もありますね。『ティファニーで朝食を』のオードリーも美しいです。カポーティーの短編の技巧も美しいですかね。ムーンリバーとなると、ムンクの絵画も思い浮かびます。宮崎県は東側に海岸があるので、水平線からの月の出を見ることができます。日の出ばかり取り上げられますが、夜の水平線から月が昇ってくる様は美しいですよ(事前に月の出の時刻を調べないと、夜に見れません。私は満月で夜に月の出が起こる日を調べて見に行きました。年に何回とないので見に行くのは意外と難しいです)。

と、延々と出てきます。
狂気の方向に向けると、アングラ的な美、こちらは心を動かされることと美しいと思うことを重ねる必要も多少あるかもしれません。この辺りは現代美術でも求められる美観かもしれません。

ただ、自然も必ず美しいとは限りません。
恐山や富士の樹海と聞くと、山や森なのに美しいとは思わないでしょう。
神木や境内の木々には美しさと畏れが同居します。欧州だと森に魔女が住んでいます。
西洋では自然は支配するもの、日本では自然は共存するものと説明した文章を書いたのは誰でしたでしょう?
ハイネ『流刑の神々』には「教会は古代の神々を(中略)今や地上の古い神殿の廃墟や魔法の森の暗闇のなかで暮らしをたてている悪霊たちであると考えている」とあります。それでも、イルミネーションは16世紀ルターが森の中で木々の間から星が見える光景を再現しようとしたのが始まりとあるように、森の中にいてもまやかしではなく美しいものは美しいと感じることはできたようです。聖職者であったことや美の対象が星であったことも無視できないでしょうが。
花田清輝『海について』には「海のうつくしさというようなものは、19世紀の発明にかかるものであって(中略)あの青い水も、白い波も、ブロンドの砂原も、灰いろや黄いろの岩も(中略)むしろ、恐怖すべきものとして、つとめて避けられてきたのだ」とあります。汎神論論争からのロマン主義、つまり(古典的)キリスト教を基盤にした世界が壊されたことで、”流刑の神々”の土着文化的自然愛が再発見されたということでしょう。

薄暗い森にお化けが住んでいると思えば不気味に見えるし、神様のようなものが宿っていると思えば美しく見えるわけです。これが屏風であるし、川端康成のスピーチにも現れるわけですね。

デュシャンが芸術とは新しいものの見方を創造することといった趣旨の発言をしていたと思うし、これらは正義を語る時にも同じ切り口で語れるわけですが、この情報が氾濫した世界で何を指針にどこへ向かえばいいのか悩むところではあります。
どこにいても何者であっても何かがしやすくなった世界であるとともに、このつかみどころのない世界は、気が付いたら溺れそうでもあります。

そういう点では私の場合、現在の仕事に根を張り続ける制約条件があることで、目的達成を最大化しやすいのかもしれません。

風呂敷の畳み方が分かりません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

有限会社アイ・エス・オー 長友