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2025夏期休業のお報せ

いつもお世話になっております。
夏期休業のお知らせになります。

8月9日土曜日~8月17日日曜日                                 

となります。

 

 

「であること」とは、物理的にはすなわち「粒子」であり、「すること」とは、すなわちプリゴジーヌの言う「生成」ではないか。

(中略)

古典的世界は「粒子」であり、近代世界は「生成」なのである。

(中略)

解剖学というのは、死体を扱う。死体には「生成」はなく、運動がなく、時間がない。(中略)「形態学」というくらいで、目を使うのである。

(中略)

私から見れば、目が先か、耳や運動覚が先か、という問題なのである。

(中略)

世界を見ているのは、それが物理化学的世界であろうが、社会であろうが、われわれの脳だ、ということである。したがって、脳の方に目と耳の分離があれば、やがてその分離は、われわれの「考え」のどこかに顔を出す。だから、世界は「古典的」になったり、「近代的」になったり、「停滞」したり、「進歩」したりするのである。

(中略)

いかなる真理も、すなわちいかなる脳も、「静的と動的な傾向を同時に持つ」からである。

(中略)

視覚と聴覚とは、別に「対立する」感覚ではない。とくにヒトの場合、両者は言語として、特異的な結合関係に至るのである。

養老孟司『カミとヒトの解剖学』