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暗闇にてこそ見つかるもの

私は砂漠にいたから      一滴の水の尊さがわかる
海の中を漂流していたから   つかんだ一片の木ぎれの尊さがわかる
闇の中をさまよっていたから  かすかな灯の見えたときの喜びがわかる
(中略)
いまも師は  大きな目をむき  まだまだおまえに分からせることは
行きつくところのない道のようにあるのだと
愛弟子である私から手を離さない
そして
不思議な嫌悪と   親密さを感じるその顔を
近々とよせてくるのだ

 (塔和子「師」)

 

今だからわかることはないでしょうか。

 

諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。

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暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。

(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」)

 

今だから見えることはないでしょうか。

 

もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減滅されることであろう。

(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」)