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自然に触れて想う

この問題をイデオロギーで拾うというのは都市
(中略)
毎日毎日手入れをしていくしか仕方がありません。自然のものに対してはそうするしかないということです。
そして、それに対して答えを要求するのは無理です。ただ、都会の人がなぜそういう答えを要求するかというと、(中略)心もとないからです。自分のよるべがないからです。「どういうふうになるのか先読みしてくれ」と、必ずこういうふうになります。意識というのはそういうものです。

(中略)

意識というのは脳がやっていることです。(中略)その脳は体の一部

(中略)
社会の透明化とまったく同じで、透明化された部分が意識化された部分です。今言ったように、人間というのは無意識のほうが大きい。部分が全体を説明するということは不可能です。
(中略)
意識中心主義というのは実は都市の思想である、なぜなら都市というのは意識の産物だからだと言いました。(あとがき)

手入れが日本の思想だったと私は思うからである。丸山真男氏の『日本の思想』には、「日本には思想はない」と書いてあった。思想が意識上だけのものなら、「思想はない」かもしれない。
(中略)
「ああすれば、こうなる」という思想に変わったのが、日本の都市化である。そのなかで環境問題が生じ、少子化、教育問題が生じている。子どもも環境も、「ああすれば、こうなる」で済むものではない。それがわかっているから「手入れ」だった。この思想はかならず復活する。私はそう思っている。それが日常というものだからである。その意味で「思想がなかった」わが国は、幸福なのかもしれないのである。

二〇〇二年一〇月

養老孟司

『特別講義 手入れという思想(文庫版)』

 

『星の王子さま』を横に置いて読みたいですね。目に見えないものがあることから意識を外したままで居続けてはならないと思っています。

部分から全体をみるというのは、統計や数値計算、機械学習ならミニバッチみたいなテクニカルな部分が思いつくでしょうが、これらは想定している母集団からそれそのものを取り出すようなところがあります。つまり、本論でいう部分の中だけの話ですね。
捉えるって言う事はその時点で部分でしかないのに、捉えたことを全体として話するからどうしようもない平行線をたどってしまうという(略)

だいたい思っていることは、頭のいいひとが言語化してくれているような気がします。権威主義というわけではないのですが、私が本を読む理由の一つが、孤独から少し解放してくれ、少し心を支えてくれるからからもしれません。

四月が近づくと、法人としては色んなことを考えなくてはなりません。
悩むのではなく考えること、それが法人に必要なことだと思います。その意味では徹底した意識の傘下であり都市化です。

 

それでもやはり悩みます。
自問自答します。
動きます(手入れします)。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。 (有)アイ・エス・オー長友